チキチキでGO!-3

 一方、遅れたノマドとスバル360。彼らもまた、第一グループを追って山道を疾走していた。なりゆき上、競り合うこともなく二台が連なってトンネルに入った。その途端、すうっと涼しくなった、と逢坂は思った。
≪第一グループは揃って休憩を取る模様。野宮君も地上に降りて休んでください≫
≪わかりました≫
≪中継ヘリには水や薬が積み込まれています。一丁目の雄大な自然の中で暫し疲れた羽を休める戦士達   
「一丁目の雄大な自然だって」
 逢坂はくすくすと笑ってカーラジオのボリュームを絞った。そっと溜息を吐いて小声で言う。
「ごめんなさい、ちょっと静かにして……」
 墓守は何も言わなかった。スタートから二人は殆ど喋っていない。
「ありがとう」
 力なく微笑して礼を言う。誰に言っているのか、墓守にはわかるのでやはり何も言わない。少しの沈黙のあとで「墓守さん」と呼ばれて彼は逢坂を振り向いた。
 逢坂は目を細め、「おじいさんがいるよ」と言った。
「墓守さんを見てるって」
「…そうか」
 墓守は車窓の外に目を遣った。トンネルの内壁はつるりとして、そこには何も見出せなかった。
     あなたはそこにいるのか。それならいい。
 やがて出口へ    眩しく輝く太陽の光の中へと、彼らは飛び出していった。




 山の向こうからヘリの音が近づく。木陰で休んでいた第一グループの選手達と、地上に降りた野宮がそれを見上げた。トンネルから出てきたノマドと360。皆は「おーい」と手を振った。ヘリは少し離れて着陸し、梢子が降りてくる。車は到着順に並んで停められた。車から降りたシロウが「うーん」と大きく伸びをした。「おつかれ」と声を掛け合って、彼らは木陰に車座になった。
 ふわり、とやわらかな風がサバンナを吹き渡る。
「風が気持ちいいねー…」
 ミオが言い、一同はにこやかに頷いた。
     誰の叩く太鼓だろう。とっとっとっ、と軽やかに聞こえてくる。
 アフリカっぽい……とミオは目を閉じて耳を澄ました。
 とっとっとっとっとっ………
「何だ?あれ」
 伊野の声に、ミオはぱちっと目を開けた。    太鼓がこちらへやってくる。
 とっとっとっ……。太鼓と思われたのはダチョウの足音だった。
 ダチョウは長い首をふらふら揺らし、真っ直ぐに彼らの方へと向かってくる。
「…おい、避けねーとあぶねーんじゃねーか?」
 一同が慌てて避けようとしたその時、ダチョウは立ち止まった。長い首の上の頭を左右に動かし、くち…ばしを開いた。
「弁当いる?」
 ダチョウはくるりと回れ右した。背中にスチロール箱を乗せている。
「若葉ちゃんと遠山さんの手作りサンドイッチだよ」
 墓守が立ち上がってダチョウに近づき、背中から箱を下ろした。彼に背中を撫でられて、ダチョウはきゅっと目を細めた。
「お茶もあるよ。ゴミはちゃんと持って帰ってね。地球を大切にしよう」
 ダチョウは早口に言うと小刻みに頷いて、墓守の顳かみに自分の頭のてっぺんをぐりぐりとこすりつけた。墓守が嬉しそうに笑う。そして一同に向かって長い首をぐいっと曲げて一礼すると、とっとっとっ…とトンネルの方へ走り出した。
 八神が深い溜息を吐いた。
「親切なダチョウですね」
「つーかどーやってここまで来たんだあいつはッ!」
「あ、そうそう」
 ダチョウが足を止めてくるりと振り向いたので、伊野は後ずさるように体を傾げた。
「サンドイッチ、一切れだけカラシサンドになってるからね。それ食った人のチームはペナルティでスタート一分遅れ」
「えーっ!?」
 とっとっとっ、と走り去るダチョウを見送って、伊野は八神に「どこが親切だって?」と訊ねた。
 和やかなランチタイムはカラシサンドロシアンルーレットと化した。
 一分遅れくらいどうにでもなりそうな気がする。それよりもカラシサンド!
 皿を前に凍り付く一同だった。
「…じゃあ、到着順に選んで、せーので食うってことで」
 一同真剣な眼差しでサンドイッチを選び、顔を見合わせた。
「……せーの」
 ぱく。
 もぐもぐと噛む彼らの間に安堵が広がっていった。    ただ一人を除いて。
 左手で軽く口元と鼻先を押さえ、唇をぎゅっと結んで頬をふくらませ、目に涙がみるみる浮かんでくる    ミオが「んんー」と食べかけを持つ右手を挙げた。伊野がひきつり笑いで食べかけを取り上げる。
「うわっカラシが厚さ5ミリ!」
「んんんん〜!」
 ミオはウエディングドレスの裾を持ち上げて皆の笑いの中を右往左往した。梢子が差し出した水をごくごくと飲んで、「いや〜、カラシ好きでもさすがにきた」と目頭の涙を拭って笑った。
 そうして食事休憩を終えた彼らはそれぞれ車に乗り込んだ。二機のヘリが離陸し、上空で再スタートを待つ。辺りにプロペラとエンジンの回転音が響き渡り、緊張感が高まっていった。
 カーラジオから山崎の声が≪いよいよ後半戦スタート!≫とレースの再開を宣言した。
≪マシンは到着順に並んでいます。和泉2CV、八神例の所ワゴンと伊野K-100が横並び、佐藤ミニ、最後尾に二台並ぶのが逢坂ノマドと本城360。丸山さん、ここまでのレースいかがですか≫
≪運動神経の良い順に並んでるって感じですねー≫
≪運動神経の良い順に並んでいます≫
 山崎は断言した。
≪すると前半は実力の通りに来たということですか≫
≪どうかなー?順位の入れ替えが思った以上に激しかったから、実力は僅差なんじゃないかしら≫
≪高畠先生はどうですか≫
≪そうだね。誰が優勝してもおかしくないと思わせる前半だったね。後半は難易度の高いコースになるから、ますます予測がつかない≫
≪予測不可能!トラブル&アクシデントがつきもののチキチキ、現在一位につけている和泉チームだが、野宮レポーターの報告では昼食のカラシサンドロシアンルーレットでミオさんがペナルティを受けています!和泉車は一分遅れてスタート!≫
≪うわあ、ますますわからないってわけですね≫
≪楽しみだね≫
≪いよいよレーススタートです!≫
 伊野が「行くぞ」と言った。傍らの紐を掴んで「OKです」と頷くひかる。伊野はハンドルとシフトレバーに手を掛けて、カウントダウンを始めた。
「……3、2、1」
 ポーッ。
 K-100の汽笛を合図に5台のマシンが一斉にスタートした。エンジン音も高らかに、砂煙を上げて2CVの脇を走り抜けてゆく。遠ざかる彼らを見ながら、ミオはぽつりと「ごめんなさい」と言った。
「ん?」
「せっかくトップでここまで来たのに」
「いいや?」と諒介もまた前を見つめたまま微笑した。砂煙が静かに消えて行く。
「いちばん最初に取って、いちばん低い確率で当てたんだ。強運の持ち主だ」
「………」
「頼りにしてる」
 視界が明るくなった。先にスタートを切った車達はずいぶんと遠かったが、日差しを反射しているのが見えていた。ミオはその光を見つめて「うん」と答えた。
≪和泉さん、まもなくスタートです!いいですか?≫
「はーい」
≪……5、4、3、2、1、≫
 啓子と高畠も声を揃えてカウントしている。
≪GO!≫
 うおんと唸りを上げて2CVが発進した。




≪固まってスタートした第一グループ、未だ並んで現在先頭は八神。これだけ視界の開けた障害物のないサバンナならペーパーでも安心して飛ばせるといったところか≫
「くそっ、荒川土手で鍛えた腕を見せてやる」
 それを聞いた鎌田が呵々と笑った。後部座席のカオルは車窓にへばりついて、珍しげに景色を眺めている。
「見て見てー!あれ何?水牛?でっかーい!」
「そんなもん見てる暇あるかあ!」
「何がだい陽ちゃん。…ああ、チーターが水牛を狙ってるなあ。ハンティングだな」
「うわー、すっごく見たい!」
「見てる暇ないだろうが」
「あ、あ、見えない。スピード落としてよ」
「出来るかあッ!」
 必死でハンドルをさばく八神を後目に、二人はすっかり観光ムードになっている。
「あ、なあーんだ。こっち来る」
「そ。良かったな……え?」
 サバンナの狩人、チーターに追われて一斉に走り出した水牛の群がこちらに向かっていた。
「陽ちゃんブレーキ!」
     キキキキキ。
≪第一グループ水牛パニック!黒い川と化した群が大洪水のように襲いかかる!行き惑う各車、方向がてんでんバラバラだ!ピンクの浮きのように見えているのは例の所ワゴン、停車してやり過ごす!いち早く加速した伊野K-100は無事に水牛の群から抜け出しているがー?黒い川に押し流されているのが佐藤組!水牛と一緒に走っている!≫
≪佐藤くん頑張ってー!≫
≪ご主人は無事に奥さんの所へ戻れるか!本城360は群の流れに逆らって方向転換、上手く避けた!八神と同じく停車したノマド逢坂に2CV和泉がまもなく追いつく!≫
 騒ぎの元凶となった当のチーターは既に水牛をあきらめて去っていた。深追いしないのが野生動物の生きる知恵である。
≪ここでついに伊野がトップに躍り出た!道なき道を行く機関車K-100!体勢を立て直して追うのが360本城、しかし距離がかーなーり開いた!八神、逢坂も発進!しかし勢いのついた2CVがぐんぐん迫る!空ちゃん、佐藤組はどうなってますか≫
≪群が逃げるのをやめたので抜け出せそうです≫
≪しかし映像では第一グループからずいぶん離れた模様。カメラに入って来ません。各車コンパスで方向を確かめながらの走行、チームワークが問われます≫
「佐藤くん、あれ。見てよ。何だと思う?」
「すみません、見る余裕はまったくありません」
 佐藤は右に左にと水牛を避けながら徐行していた。本橋が「あれですか?」と目を凝らし、ダッシュボードの小物入れを開けた。
「さっき双眼鏡が入ってた。古田さんってバードウォッチングするみたい。ポケット鳥類図鑑もある」
「へえー」と佐藤にっこり。
「古田さんってドラえもんみたいだな…。見てくれる?」と丸山。本橋が双眼鏡で『あれ』を見た。
「給油所です」
「佐藤くん、あれに向かって直進」
「あれですか」
「うまくすればトップだ」
「はいはい」
 水牛障害を抜けたミニがぶおんとエンジンを回して走り出した。




 道なき道。乾いた大地に恵みの雨が溜まり緑が茂る。自然の厳しさと優しさを見せるサバンナ。カメラがありゃあな。そんな暇ねーけど    伊野はフッと微笑した。
「給油所だ」
「セルフですかね」
「そーだろ」
 ひかるはセルフ給油にも慣れている。「時間の勝負だな」と言う伊野も余裕の笑みだ。
「師匠、横から佐藤先生のミニが来ます」
「へえ?…ははっ、無事だったか。良かった」
≪伊野車セルフ給油所に到着、手際よく作業にかかります。思いがけない方角からやってきたのは佐藤組。ここまで来ればサバンナコースも残り三分の一、次なるジャングルコースが見える位置にまで来ています。   さあ伊野車発進、佐藤組が続く!入れ替わりに到着したのは和泉2CV!≫
 ひかるが後ろを振り返って笑った。
「和泉さん速ぇーッ!」
≪アクシデントに乗じてとはいえ、この悪路で最後尾から三台ごぼうぬきにしたのは並大抵じゃないね≫
≪はい。そしてまた和泉車にひっぱられるように続く三台も果敢な走りでまもなく給油所に入ります!現在順位は伊野、佐藤、和泉、本城、八神、逢坂!和泉車が今出発します!残る三台が次々と停車して作業開始!しかし本城と桜木、勝手がわからないようだ!二十二世紀にセルフ給油所はないのかー?≫
≪ないだろう。今より便利な世の中になってる筈だから≫
≪逢坂が桜木に駆け寄ります!やり方を教えているらしい!そうこうするうちに八神は助手席に乗り込んだ!例の所ワゴン、最年長鎌田博の運転で出発!≫
≪今のコースはかなりきつかったと思います。…あ、やっぱり、天使連も運転交代するみたいです。眼鏡直したんですね。ちょっと曲がってるみたい≫
≪あのくらいなら大丈夫だよ≫
≪天使連スバル360、運転は再び桜木修平!本城とはまったく違う走りを見せる桜木、急発進だ!給油が遅れた逢坂チーム、まだやってます!≫
≪人が好いねえ彼も≫
≪歩く人類愛逢坂、給油を終えて、次元を超えた友情で結ばれた墓守と共に今マシンに乗り込んで出発しました!こちらも急加速で360を追う!≫
「ここからしばらく順位は動かないだろ」
 テレビを見ていた遠山は、鞄から本を取り出した。
 森宮家の居間で、今日は店を閉めて朝からサンドイッチを用意し、テレビを見ていた。森宮は「じゃあ今のうちにトイレ行っておこうかな」と立った。
「どうして?」と訊ねたのは若葉だ。
「何もない所だから。さっきみたいにヌーの群でも来れば別だけど」
「見ないの?」
「うん」
 遠山は本から目を上げた。
「出たかった?若葉ちゃん」
「ううん……」
 私にはあんな所は走れそうもない    遠山さんは誘ってくれたけれど、本当はこうした勝負事にまったく興味のない人だと知っているから断った。
 でも………
 若葉は画面から目をそらした。ノマドの車内    手前にコンパスと地図を手にして周囲に注意を払う墓守と、唇を噛みしめて前方を睨み、ハンドルを握る逢坂。二人とも真剣な表情だ。
「楽しそうでしょう」
「…え?」
 あんなに真剣な顔なのに?と若葉は遠山を振り返った。
「楽しんでなきゃ、あんなマジになれないよ。みんな楽しんでる。ほら」
   伊野車K-100、砂煙をまいて先頭を行く姿はまさしく後続車両を引く蒸気機関車!伊野さん頼もしい!≫
 実況を聞いて、真顔だった伊野がふっと笑うのが映った。音声はないが、ひかるが大笑いしている。彼は汽笛を鳴らす紐をひっぱった。中継ヘリのマイクが捉えた「ポーッ」という音が小さく伝わると、実況席で笑いが起こる。次に映った佐藤組の車内でも皆が笑っていた。
     胸がちくちくする。さっきからずっとそう。
 テレビの画面が上空からの映像に戻って、若葉は「じゃあ、今のうちにお茶いれる」と立ち上がった。遠山は微笑して、本に目を落とした。