チキチキでGO!-4

≪サバンナを走破した各車、コースはいよいよ山場、文字通りの山越えになります。この山を越えればゴールは目前!現在、順位は変わらずだがー?登り斜面に入って伊野K-100、重い車体の弱味か後続の佐藤組ミニがじりじりと差を詰めてきた!≫
「…てことはゴール前は下りだな。みんなそこで勝負かけてくるだろ」
「ですね」
「下りに入る前に三位内につけとかないとやられるなー」
「ですねー」
 不敵な笑みに余裕を感じさせる伊野とひかる。山道特有の左右交互に続くカーブ。木々に遮られて先が見えない。
≪佐藤車、伊野車のインに入る!≫
「ほらなー?させるかって」
 伊野は車体をクッとカーブの内に寄せて佐藤車を阻んだ。
「…出来るだけ今のうちに前に出ておかないと、佐藤くん不利だよ」
 本橋が冷静な口調で言った。佐藤は「だって」と苦笑する。
「伊野さん入れてくれないんだもん」
「当たり前」
 呆れて本橋と丸山が声を揃えたその時    
 ポーッ。
 K-100が汽笛を鳴らして減速した。佐藤も目の前に釣り橋が見えて、伊野に従い路肩に車を寄せて停めた。
≪釣り橋の前で伊野佐藤停車。ドライバーがマシンを降りて、後続車両を待つ体勢≫
≪どうして止まっちゃったの?≫
≪危険と判断したんだよ。結構深い谷だねえ≫
≪ご覧の渓谷は高さ約50メートル、釣り橋の長さは約100メートル。幅は車一台がやっと通れる程の、古い木造の釣り橋です。ここで全車両が釣り橋の前に揃いました。ドライバー集まって相談しています。揺れる釣り橋、一台ずつゆっくり渡るのが賢明でしょう≫
「じゃあ、到着順に一台ずつ渡って向こう岸で待機」
「はい」
「伊野さん気をつけてね」
「ん、俺の車が渡れれば大丈夫だろ」
≪いの一番こと伊野が運転席に戻ります≫
「なんっで小学生の時のあだ名知ってんだ!」
「あははははは」
≪トップ伊野車、ゆっくりと橋を渡り始めました。車内カメラで見ると、やはりかなり揺れますね≫
≪見てるこっちも息止めちゃうわね≫
≪慎重に渡って行きます……≫
 実況の山崎も声を落とす。車体の重みで橋がしなっているのが見て取れた。桜木が「うわ、みしみし言ってるよ…」と眉を寄せた。
≪……K-100、無事に橋を渡りきりました!≫
 はーっ、と大きな安堵の溜息を吐く実況席の三人。パチパチパチと拍手して、
≪伊野に続いて佐藤車ミニ、丸山の運転で渡ります。車体が小さい分、K-100よりは操縦が楽と思われますが、三人乗っているため油断は出来ません……≫
 ミニ、2CV、例の所ワゴンと順に橋を渡りきり、スバル360が渡り始める。逢坂と墓守は橋の手前に並んで立ち、それをじっと見つめていた。
 ふいに逢坂がはっと息を呑んだ。
「危ない!」
 彼が叫ぶのとほぼ同時に    がくん、と車体が後ろに沈んだ。墓守が目を上げる。「あれだ」と指を差したのは、橋を釣るロープだ。車体の重みで切れてゆく    
 ばうん、とエンジンを轟かせ、ギュギュギュと360が急加速した。ブツッとロープが切れ、釣り橋は端から落ち始めた。向こう岸で待機していた車から皆が次々と飛び出した。
≪きゃーっ!≫
≪まずい落ちる!≫
 橋は毛糸をひっぱってほどくように崩れ、360の足元を追うように落ちてゆく。
   シュウヘイ!」
 ノハラが叫んだ    その声に応えるかのように、360の屋根の両脇から、白い物が飛び出した。
≪……あれは……≫
 野宮が掠れた声を発した。
≪翼だ!≫
 誰もが   その場にいた者も中継を見ていた者も   驚きに目を見張っていた。
 360の翼は角度を変えて風をとらえ、車体の後ろが持ち上がった。しかし360は落ち続けている。このままでは崖にぶつかると思われた時、翼の生えた360は右に旋回した。
 呆然とシロウが訊ねた。
「…な…何で…。シュウヘイ、どういうこと」
「こんなこともあるかと」
「こんな状況を想定するなッ!」
 つけたかっただけに決まってる………ノハラはそう思った。
≪不時着するつもりだ≫
 野宮の冷静な声に、山崎のものらしい溜息が聞こえた。360は徐々に高度を下げて、渓流の向こうの茂みに向かってゆく。    ガサガサと低木の折れる音が谷に響いて、それが静まると、360は動かなくなった。
≪桜木チーム、無事ですか?≫
 野宮のヘリが高度を下げるが、木々に阻まれて近づけない。皆は固唾を呑んで見守った。程なく、ドアが開いて三人が姿を現した。
≪三人とも無事です!≫
 彼らはほーっと深い息を吐き、ようやく笑みを浮かべた。ミオが「良かった、よか…」と言いかけて、震える手で顔を覆った。諒介がその肩にぽんと手を置き、皆を見回して「コース変更しよう」と言った。「そうだな」と伊野。皆は頷き合って車に戻った。
≪山崎≫
≪…あ、はい≫
≪伊野車からスタートします。佐藤組はドライバー再び佐藤。コースを外れて桜木チームの救助に向かうようです。…大丈夫?山崎≫
≪…ああ、大丈夫。すみません≫
≪ふっ≫高畠が笑った。≪しばらく野宮君が伝えてくれ≫
≪はい。現在ぎりぎりまで高度を下げて360に接近、三人の無事な姿を確認しました。映像でご覧いただけるかと思います。一方、橋の手前に逢坂チームが残されてしまいました。棄権となるでしょうか≫
≪野宮君、逢坂さん達がいない≫
≪…えっ!?≫
≪野宮。多分逢坂は向こう岸から桜木さん達の救助に向かう道を探してると思う≫
 山崎の声が張りを取り戻した。
 それを聞いて桜木が溜息を吐いた。
「棄権しよう。僕らは無事だったんだし、ここまで充分楽しかった」
 彼を見つめる二人から目をそらし、フッと苦笑する。
「やっぱりダメだな僕は…。ノハラ、シロウ。すまない」
「…ダメって、別にいいじゃない」
と笑顔で言うノハラの目にうっすらと浮かぶ涙が光った。
「優勝じゃなくてもいいじゃない。豪華なホテルや食事なんてなくても、海はあるじゃない。みんながこっちに向かってるのは全員でゴールするためだよ。行こうよシュウヘイ。完走しよう」
「ノハラ…」
 桜木は彼女をそっと抱き寄せた。彼女の頬に手を当て、顔を近づける    
「はいはい生中継でそれはよせ」
 シロウが二人をぐいと引き剥がした。二人はくすっと笑って車に乗り込み、ぶるん、とエンジンをかけた。
「よし、動く!」
 屋根に生えた翼をひっこめる。シロウが野宮のヘリを振り仰ぎ、崖の上を指差して、レースに参戦すると合図を送って後部座席に戻った。
「伝わったかな」
「走り出せばわかるだろう」
「行こう!」
 めきめきと低木を踏みつけてスバル360は走り出した。
≪……桜木スバル360、再スタート!レースに戻る気だ!≫
 山崎の声も明るい。
≪一時はどうなるかと思われた360桜木チーム、いや驚いた!まさか羽が生えるとは!≫
≪桜木さんちって、テレビとか電子レンジにも羽生えそうよね≫
≪丸山さんの怖い想像を聞き流して一号ヘリの映像を見ますとー?高度を上げて崖の上組、下り坂を桜木車に向かって疾走!道幅狭く順位は動かず!≫
≪山崎君、逢坂さんを見つけました。上流にいます≫
 川の浅い流れを、飛沫を上げて越えるノマドが映し出された。
≪逢坂、四駆の強味をやっと見せる!桜木車は茂みを越えてようやく道に出た!危機を乗り越えたボディは岩や木々に擦られて文字通り傷だらけの天使!これで全車レースに復帰だ!≫
 高畠はニコニコして、実況を伝える弟子を見つめていた。
 森宮家の居間では若葉が膝で立って座卓に身を乗り出し、息を詰めてテレビを見ていたが、ここでようやく、畳にぺたんと座り込んだ。遠山はそれを横目で見て、何も言わずに目を画面に戻した。
≪正規のコースから外れたが、いずれ山の向こうは青い海。画面は上空から見たコース、まもなく桜木360が合流する地点から道幅が広がり、舗装路となります。逢坂ノマドが今、桜木車と同じ道に入った!後を追います!≫
「見えた!伊野さんの車だ!」
「行けシュウヘイ、このままトップだ!」
≪両者互いの姿を確認したか?急加速!桜木が第一グループに突っ込む!伊野車それをかわして首位キープ!360二位!≫
「ちょっと我慢して」
 突然諒介に言われてミオは一瞬わからなかったが、車体ががくんと揺れて理解した    いきなり目の前のミニが横に消えた。
「ははははははははは」
≪サバンナでその実力を見せつけた和泉2CV、一瞬の隙を衝いて佐藤組ミニを抜いた!見事なテクニックだ!≫
     これが八年ぶりだから出来る無茶だと誰が知っているだろう………
 笑顔で遠くを見るミオの脳裏に、天国の扉が浮かんで消えた。
≪第一グループ最後尾、ミニと例の所ワゴン、鼻先抜きつ抜かれつ横並び!ドライバー歴四十年鎌田の腕が冴える!≫
≪すっごいお若いですよねー!≫
「まだまだこれからよ」
「これからですか鎌田さん…」
 ひきつって笑う八神の後ろでカオルが「おじさん行け行けー!」と拳を振り上げていた。
≪守護霊つきの葬儀社チーム、佐藤組を徐々に離していく!ここで後方合流地点にノマド突入!追いつけるか!コースは蛇行、和泉車がインから桜木車をさして二位浮上!≫
 激しく競り合い、キキキと滑るタイヤの音が山にこだまする。
 伊野はにやりと笑って「来たな諒介」と呟いた。
≪2CV、インを譲らないK-100を外から狙うが届かない!その和泉の内側を桜木が取った!またしても入れ替え360が二位につけ、K-100の真後ろ!これ以上前を譲れない和泉、鎌田の接近を阻止!≫
≪すっごーい……≫
≪一方最後尾ノマドが距離を縮め、ミニを視野に捉える所まで追いついた!≫
     そして。
「海だ」
 彼らは視界に飛び込んだ海に感嘆した。
 傾いた日差しを受けて輝く波が遠く水平線から打ち寄せる。海岸に並んで休む漁船の影に沿ってゆるやかに弧を描く道は    
 ゴールへと続いている。
「海だ…」
 本橋は溜息をもらして呟き、その輝きに目を奪われていた。佐藤はそれを横目で見て微笑し、胸の内で彼に語りかけた。
     おつかれさま。ここまでよく頑張ったね。
≪全車は市街地に入って海岸沿いの大通り。さあゴールは目の前だ!順位は伊野、桜木、和泉、鎌田、佐藤、逢坂!上位三組の激しい争い、今カーブで360がK-100の内側を取ったあ!その真後ろに2CVがつく!二台に抜かれて伊野がトップから三位へ!和泉すかさず桜木車に並び……あっ≫
「あ」
「ちょっと…和泉さん…」
「やば」
 2CVのボンネットの隙間から白いものがふわふわと上っていく。それはだんだん増えて    
≪2CVオーバーヒート!≫
 もわっと上がった湯気で前が見えない。減速した2CVを、伊野、鎌田、佐藤が次々と抜き去ってゆく。諒介は車を脇に寄せて停め、逢坂に「行け」と合図を送った。ノマドも走り去り、エンジンを止めた途端に、ざざあん……と波の音が聞こえてきた。諒介とミオの二人は車を降りてボンネットを開き、もうもうと湯気を吐く2CVから離れた。海側の歩道の柵に凭れて車を振り返る。二人は顔を見合わせ、笑い出した。
「……はは。あーあ。これがオチなのか」
「実況も聞けなくなっちゃった…。もうみんなゴールしたかな」
「うん」
 二人はゴールの方を見遣り、軽い溜息を吐いて海へと向き直った。
「わ、和泉さん、すごい汗」
 シャツが汗で背中や胸にぺったりとついている。諒介は「汗っかきだからな俺…」と呟いてシャツの前立てをひっぱり、鼻をよせてくんと嗅いだ。そのしぐさに、ミオの胸がちくんと痛んだ。
「…それだけ頑張ったってことよね。一人で運転たいへんだったでしょ。やっぱり伊野さんや仁史君と組めば良かったかな」
「ん?」と諒介は首を傾げ、苦笑した。「いや、伊野さん達とは一度勝負してみたかった」
「勝負?」
「うん」
「どうして?」
「うーん………」
 諒介は柵の上に腕を組んで考え込んだ。ややあって、「男だから」と答えた。ミオは、わかったようなわからないような………と頷いて微笑んだ。
     男だから。
 おそらく闘争本能もあるだろう。理屈抜きに勝負してみたい時がある。
 何かに挑んで自分の力を試したい。自分を知りたい。
 そうして得られるのは    
 ゴールの方向から近づいてくるエンジン音に二人は振り向いた。ノマドが二人の前に停まり、逢坂が降りてくる。
「早く冷やさないとエンジンが焼き切れちゃうよ」
「もうダメ」
 諒介はくつくつ笑った。「はあ」と頷く逢坂のシャツの胸ポケットがごそごそ動いて、灰色の小さなハムスターがぴょこっと顔を出した。
「ヒュー。ミオさん本日のMVPに決定だよー」
「へっ?…私?」
 ミオは目を丸くしてハムスターを見た。
「衣装もいちばん凝ってるし、カラシサンド食った時のVTRウケまくりだし、極めつけにあれだもん。満場一致で決まったよ」
 ハムスターは2CVを振り向き、ヒゲを震わせて目を細めた。
「ははははは。うん。ありがとー」
 ミオは照れ笑いしてハムスターの頭を指先で撫でた。逢坂が「戻ろう」と二人を促す。
「みんな待ってるよ」
 そう言って笑うファニーフェイスは女の子みたいだけれど。
 男だから。
 彼はずっと、自分がやりたいと思うことのある場所を走っていた。
「明日が楽しみだね」
 逢坂は西日に輝く海を見て目を細めた。彼らを乗せて、ノマドがUターンする。
     皆の待つゴールに向かって。
 そうして彼らはまた一つ手に入れた。
 自分を信じる強さを。

「チキチキでGO!」 2001.7.26

← Index || afterword