チキチキでGO!-2

 人は真の恐怖に直面した時、笑うものだという    
「はははははははははははははは」
 ミオは笑っていた。
 よく見ればどれもが華奢なパーツ。平らなドアはびりびりと震動し、小振りなタイヤは路面や走行状態をダイレクトに伝える。この車、怖い。そしてそれ以上に怖いのは    
「……ふっ。………ふっ」
 諒介も笑っていた。
     和泉さんってハンドル握ると性格変わるんだ………覚えておこう。
 だがその知識も生きて帰らねば役に立たない。
≪現在トップは和泉車、その後ろでピタリとマークする八神車。やや遅れて佐藤組のミニが続く!後方伊野車、桜木車との差が開いてきた!遅れてスタートした逢坂車はついてゆくが差を縮められない!≫
≪市街地を走る間は車の性能の勝負だね。八神君の車が速いのは予想出来たが、和泉君の運転は実に思い切りがいい。コーナーの攻めが違うね≫
「……ふっ」
 諒介は自分の運転が怖いらしかった。
≪おおっとここで何を思ったか佐藤車、いきなり左折!いったい何が起こったのか!各車に設置した小型カメラで見てみましょう!≫
 コースを外れたミニを梢子のヘリが追う。実況席のモニタの画面が切り替わり、車内が映し出された。ハンドルを握るのは佐藤。助手席の本橋が手にしているのは道路地図だった。
≪おーっとこれは!与野在住の古田の車、埼玉県道路地図を乗せていた!よく気がついた本橋ポン!裏道を抜けて先回りする作戦だー!≫
 遅れてノマドが同じ地点を通過する。
≪大宮出身逢坂が左折しないで直進した!両者の選択は吉と出るか凶と出るか?≫
「うわあポンちゃん、逢坂君は大宮出身だって!道知ってるんだよきっと!」
「大丈夫。あの先の大きな立体交差にトラップが仕掛けてある筈だから」
 末恐ろしい中学生。
 ミニは小さな車体を活かして細道をすいすいと走り抜けてゆく。これが他の車では速度を落とさねばならなかったろう。その意味で逢坂の選択は正しかった。
≪佐藤組を除く五台はまもなく市街区を抜ける立体交差に差し掛かろうとしています。しかしここが曲者だ!片側四車線のおおーきな立体交差、標識の案内表示が消されている!一号ヘリ野宮、レポートお願いします≫
≪はいこちら上空から見た映像です≫
 モニタに巨大な立体交差が映し出された。
≪依然車間を縮めることなくやってきた五台、先頭から和泉さん、真後ろに八神君がつけてます。やや遅れた伊野さんに桜木さんが並ぼうとしています。少し離れて逢坂君が車線変更します≫
「仁史が内側の車線に入った」
 後部座席から後ろを見ていたシロウが言うと、桜木は「こっちか?」とハンドルを切った。助手席のノハラが「下手すりゃコースアウトだ」と車線の先をよく見ようと目を細めた。スバル360は一番右、伊野のK-100はその隣の車線を進む。
「どっちだ」と伊野。
「多分この先で車線が割れます。左の一つか二つが下りになりますよね。二車線直進」
「あみだくじかよ」
「和泉さんが真ん中左に入ります、八神君がぴったりつけてますね」
「決めるなら今しかねーな。地元の仁史を信用するか桜木さんを突き放すか」
 信用のない桜木だった。
「見えた」
 左二車線が下りになっている。諒介はそのまま立体交差を降りることにした。八神の車が続く。
「このままついてくる気だ」
「こっちで合ってるのかしら」
 スピードに慣れてきたミオがようやく喋った。諒介は「さあ」と答え、ちらっとバックミラーを覗いた。
「桜木さんが直進した。伊野さんがこっちに来る   っと」
「きゃあああ!」
 ヘアピンカーブ。2CVは横滑りし、ミオは斜めに倒れた。
 高架の車線から周囲を見渡したノハラが叫んだ。
「どうなってるんだ、このコースは!」
≪上空から見ると大変に入り組んだ巨大な立体交差であることがわかります。片側車線だけに目を向けても、カーブを繰り返すことによって≫
「きゃー!きゃー!きゃー!」
 ミオ絶叫。
≪それぞれの車線がコースまたは周辺の道路に別れていきます。あっ、逢坂君が分岐の直前で一気に車線を変更!桜木さんチームと別れました!≫
「シュウヘイ、仁史にやられた!」
「こっちも分かれ道だ。どっち行く」
「右!」
「左!」
「ノハラの言う方」
 桜木は右の車線を突き進んだ。
≪車線はとうとう四本とも別れた!和泉車に続き八神車、伊野車は前二台と別れてトップを狙う!桜木車も下り車線に入って方向転換!立体交差を降りたあとで順位が入れ代わるか?まったく予測がつかない!逢坂車は和泉八神チームを追う!コースはこんがらがった毛糸のごとく、争う五台はまさしくトミカ状態だー!≫
 墓守がぼそっと訊ねる。
「トミカって何だ」
「おもちゃの車」
「彼はこんなに喋る人間だったか」
「ん?」逢坂はくすっと笑った。
「山崎は生真面目だから、一生懸命喋ってるんだよ」
「そうか」
 二人はカーブのたびに仲良く体を揺らした。
≪空ちゃん、裏道を行った佐藤組はどうですか?≫
≪はい。佐藤先生の車は幹線道路…っていうのかな。大きい道に入るところです≫
≪佐藤車、コースに復帰!トップに躍り出ました!和泉、八神に続いて伊野もトミカコースを降りたがー?伊野、前の二台に引き離された形となった!横道に入ってコースに戻らねばなりません!ここで逢坂が四位に浮上!≫
≪桜木さんは?≫
≪ぐーるぐる回ってるねー≫
 高畠が答えた。野宮が≪高畠先生≫と呼ぶ。
≪桜木さんの車はぐるーっと迂回する形になりますが、上空から見ますと正規のコース、佐藤先生の現在地点より先に繋がっています。上手くすれば第一グループに食い込めます≫
≪ほほう≫
「よし行けシュウヘイ!」
「言われずとも」
 ばうん、とエンジンを轟かせてスバル360が加速する。ガタガタと車体を揺らしてコースへと突っ込んでいった。
「うわっ」
     キュキュキュキュキュ。
 360の鼻先がミニの脇腹にぶつかるかと思われた瞬間、間一髪でミニは難を逃れた。
≪桜木車、現在二位!三位に下がった和泉車がぐんぐん追い上げる!八神車を引き離すつもりか!≫
「そうはいくかい。陽ちゃん、離されるなよ」
「鎌田さん運転代わってー!」
 八神は涙目だ。鎌田は「そんなことしてたら遅れっちまうじゃねーか」と平然としている。長生きしてくれそうだ………と思う八神だった。
≪おーっとここで伊野がコースに戻って最後尾、距離はあるものの直線だ!汽笛を鳴らし、猛然と五位の逢坂車に迫っていく!≫
≪伊野さんの車は車体が重そうだね≫
≪付属品が多いんでしょう。煙突など全体にコンパクトにまとめたツーシーターですが、他の車に比べて空気抵抗など不利な点が多いですね≫
≪でも伊野さんはこのメンバーの中で一番運転に慣れてるし、上手いですからね。多少のハンデはあってもいいんじゃないかなー≫
「そうそう」
 伊野車以外の全員が頷いた。
≪さあ順位を入れ替えてコースは市街区を抜けた!トップ佐藤車軽快な走り、桜木、和泉、八神、逢坂、伊野と続きます!ここで一旦コマーシャル!≫
「コマーシャルって何!」
 選手及びテレビ中継を見ていた全員(墓守を除く)が叫んだ。




≪風が語りかける。   うまい。うますぎる。十万石まんじゅう≫
「十万石には次に私の絵を紙袋に使って欲しいんだがね」
「天下の棟方志功を相手に何ぬかしてんだこのジジイは」




≪ニセおーみや市街を抜けた六台のマシンは現在直線のコースを走っています。風景はがらりと変わって道路の両脇に畑が続くカントリービュー。大きく広がる青空が、眩しく輝いています。気温もぐんぐん上昇、マシンへの負担や選手の体力が気になるところ≫
≪山崎君、CM中とはずいぶん違うね≫
 高畠に言われて山崎はアナウンサーっぽい流れるような口調で≪るせえぞー?このジジイー≫と言い、淡々と続けた。
≪ここまで見通しが良いとトラップもしばらくなさそうだ。この直線で距離を稼ぐか何があるかわからないこの先に勝負を賭けるか≫
≪かけひきに各選手の個性の出る所ってわけね≫
≪丸山さんの仰る通り。現在トップは依然佐藤組、続いて桜木、和泉車の後ろにスタートからぴったりついて離れない八神車はまさしく背後霊、少し離れて逢坂、伊野と順位変わらず≫
 ミオがサイドミラーを覗いて溜息を吐いた。
「八神君はどうして追い抜かないのかしら」
「先に行かせてコースを読む。ゴール前で勝負するつもりだよ」
「あ、なるほど…」
「食いつかれた方は苛つくしね。…その手には乗らない。この道を抜けるまではこのままで行く」
「おっけーい」
 彼らはチラと目を合わせてフッと笑った。前方の桜木の車が佐藤のミニの横に並ぶ。
≪おおーっと桜木車スバル360!昭和高度成長期を支えた意地を見せる!今、今!トップに飛び出したー!≫
「佐藤先生も前を譲ったね」諒介がくすっと笑った。
 その佐藤の車では    
 三人が脱力していた。
「だって桜木さん、必死の形相で怖いんだもん……」
     そう。桜木は必死だった。
 去年の夏休みすぺさる第二弾『君さえいれば』では勝負を引き分けた桜木。ノハラとの沖縄旅行の夢も破れたが………
「今年はゴールしたらそのまま温泉に直行だ。レースの疲れを癒したあとは豪華ホテルで乾杯。夜の浜辺を散歩するのもいいな」
「三人で?」
「明日はのんびり肌を焼いて、たっぷり泳ぐ。ああ、ノハラの分も水着持ってきて良かった!」
「余計な真似すんなーッ!」
 キキキキキ、とタイヤを鳴らして360は左右にふらついた。思わず後続のドライバーが皆ブレーキを踏む    ぶおん、と唸りを上げたのはノマドだった。急加速して『例の所』のワゴンに迫る。
「そうはいくか!」
 伊野もすかさず追い上げの体勢に入った。ばふん、と煙を吐いて逢坂とは逆サイドから八神の車を抜く。
≪いったい何が起きたのか桜木車!車内カメラで見てみます!……これはどうしたことだ!≫
 ノマドはたちまち三台を抜いて、横に滑った360の隙を衝いて前に出た。クラクションを鳴らして尾灯が点く    
≪桜木さんの眼鏡が折れてます!≫
 停車しろとの合図である。桜木は減速して路肩に寄るノマドに従った。逢坂が運転席から手を振って先に行けと合図する。他の車が彼らを次々と追い抜いていった。
 二台は連なって停車した。逢坂と墓守が車を降り、桜木達に駆け寄った。
「大丈夫?」
「ごめん、私が殴った」
「え?」
 逢坂は目を丸くしてノハラを見た。シロウが呆れた口調で「痴話喧嘩してたら眼鏡折れたの」と大きく溜息を吐いた。桜木は苦笑して、
「シロウと交代するよ。悪かったね仁史。すっかり遅れてしまった」
「ううん」
 逢坂はふっと微笑してそう答え、頭上のヘリに向かってにっこりと手を振った。車に戻ると山崎の実況が続いている。
   今のアクシデントで順位はまたしてもシャッフル!和泉車がトップに再浮上、離れずについてきた八神車は伊野車横並びで剥がされそうだ!≫
「疲れた」と墓守は帽子を取った。先刻からずっと大きな帽子が車内の天井につかえていたのだ。助手席に着いて「仁史は大丈夫か」と訊ねた。
「うん。……行こう、みんなが待ってる」
 それを聞いた墓守は、ふ、と小さく笑って目を伏せた。
     競争しているのに、待ってる、か。
≪逢坂車ノマドに続いて2番スバル360、ドライバー交代して本城志郎。二台がゆっくりと走り出しました≫




     やりにくい………
 諒介は奥歯をぎりっと噛みしめた。コースは緩やかなカーブの続く山道に入り、幅をせばめていた。わずかな距離を空けただけで後ろについてくる例の所ワゴンは横に並ぶK-100と競り合っている。その向こうのミニはやや離れて様子を窺っている。道幅があれば二台をかわせるのに、下手にスピードも上げられない。前方にトンネルが見えて、あれがチャンスになるかもしれないと諒介は思った。
≪第一グループ四台は消しゴムのカスを集めたように密着、順位は膠着、佐倉は横着、山ねずみはロッキーチャック。次々とトンネルに突入しました。夏休みのトンネルと言えばきもだめし!≫
「えっ」
 諒介の顔色が変わった    トンネル内の黄色いライトで全員の顔色が変わって見えた。
≪選手に涼をお届けするこのトンネル、今回は特別ご奉仕で幽霊一人につきもう一人ついてきます!≫
「どっ、どこ!」
 ミオがかくかくと首を左右に振った。訊かないでくれ知りたくない    諒介はアクセルをぐっと踏んだ。
 うおおん、というエンジンの轟きがトンネル内にこだまする。それは何者かがうおおと悲痛に叫ぶ声に聞こえた。諒介にだけ。
「………ふっ」
 諒介の顔に笑みが浮かんだ。その刹那、2CVはがくんと車体を揺らして加速し、諒介は目がマジな笑顔でハンドルを切った。
「和泉さんが勝負に出たぞ!離されっちまう!」
「みんな応援してるよ。わーい。やっほー」
 後部座席でトンネル内の幽霊に向かって陽気に手を振るカオルの姿がバックミラーに映る。八神は「ご声援ありがとう」と真顔で頷いた。鎌田がそれを聞き流す。彼には後部座席が空っぽに見える。
≪2CV和泉、ものすごいスピードだ!八神と伊野をどんどん引き離していく!華麗なテクニックでカーブを難なくこなし、見えない大観衆に見送られてまもなく出口!≫
     大観衆?
 背中が粟立つのがわかって、諒介は声もなく笑った。
 目がうつろだった。
 ミオは既に笑顔のまま凍り付いていた。
≪トンネルを抜けるとそこはー?いよいよオフロード!趣味のサバンナだー!≫
「誰の趣味?」
 丸山が実況につっこんだ時、周囲が明るくなった。第一グループ四台はトンネルを通過して苛酷なコースに突入した。どこまでも広がるサバンナ。彼らは一様に目を見張って停車した。諒介がふらふらと車を降りた。
≪頼れるのは地図とコンパスだけ!彼方にそびえる山々のどれかが次なるコースとなっています!途中に給油所も設置してあります!≫
 ミオは受付で渡された紙袋から地図を取り出して広げ、目が点になった。
「…なんっじゃこら…」
 サバンナのおおまかな輪郭の中に三つの×印があり、それぞれに『トンネル出口』『給油所』『サバンナ出口』と書いてあるだけだ。「…と、とりあえず方角は書いてあるから…」と紙袋からコンパスを出す。K-100を降りた伊野が2CVに駆け寄り、八神と佐藤も諒介の許へ集まった。頭を突き合わせ、地図を覗き込む。
「要するにここは耐久コースだ。休憩取ってもいいだろう。給油所もそのためにあるんだし」
「えっと…。ガイドによると、このあと山間コースですね。こっちは道があるみたい」
「山っつーかジャングルだな、おい」
「チキチキらしくなったね」
 彼らは顔を見合わせ、くすっと笑った。
「待つか」