チキチキでGO!-1

 海の日に、カモノハシとはこれ如何に。
「ミドリガメの代わりだろ」
と伊野はペットボトルの冷たい緑茶を湯呑みに注いだ。そこへ二つの手が伸びて湯呑みを取る。彼らは部屋の隅を振り返った。
 たまに天井から落ちてきて志村けんの頭に当たる大きなタライ。その中で、カモノハシが水に浸かって気持ちよさげに目を細めている。
「何でミドリガメにしないんだ?」
 諒介はお茶を一口飲んで、カルシウムせんべいをぱりんと噛んだ。    誰も答えない。ここは理屈の通用しない場所なんだな、と諒介は思い直し、「とにかく」と溜息を吐いた。
「今年の夏休みすぺさるは僕らで何とかするしかないな」
 佐倉内一丁目の自治会集会所。
 この町でも理屈の通用しないエリアにある古びた建物である。本来、佐倉内といえども地理、時間の流れ、人間関係等は厳しい管制下に置かれている。集会所がその規制を免れているのは、作品制作に於いてあらゆる可能性を追求するためだ。つまり、一丁目だけは、何でもアリなのである。
 住民の個性を重んじ、意思を尊重する    『自治会』が存在するのも、作者佐倉が彼ら一人一人の人格を把握し理解するための手段なのだ。
「去年は時代劇をやったのよね」とミオ。伊野もせんべいをつまんで「諒介が指揮を執るならやっぱり映画か?」と訊ねた。
「そうだな…。そしたら僕は裏方に徹します、今年は」
「監督に専念するわけね」と言われて諒介は照れ笑いした。
「でも何やるかな…」
「時代劇、私やってみたいけどな。本編と全然別の世界になるわけじゃない?」
「うん」
「高畠先生の水戸黄門」
 ハハハ、と伊野と諒介が笑った。
「似合い過ぎだ、それ。何だ、そしたら山崎君が助さんで野宮君が格さんで」
「矢七は伊野さんだな。運動神経いいし」
「でも伊野さんだと天井板踏み抜きそう。天井裏がきつくて身動き取れないの」
「ははは、いい、それ!そんでミオが意味もなく風呂に入る」
 どわはははは、と三人は無責任に笑った。
「…や、笑い取れるんなら入浴シーンも辞さないけど。足ちょっと映るくらいなら」
「仁史はうっかり八兵衛?」
「似合いそうだけどな。あんな痩せてて食の細い奴が……」
と言いかけて、諒介を見る伊野がひくひくと笑った。
「八兵衛は諒介だろ」
「え?」
「うわははははは」
 伊野とミオはテーブルに伏して大笑いした。
 ちゃぷん、と小さな水音を立ててカモノハシがタライを泳ぐ。
「問題はストーリーだ。誰が考える。佐倉内のみんなが出られるような」
「うーん…」
「やっぱり映画は無理か…」
「…あ、じゃあみんなで何かするのは?ゲームとか。それなら結果はやってみるまでわからないし、台本要らないじゃない?」
「いいね、それ。ゲームの準備なら佐倉がいなくても僕らで出来るし」
「それに和泉さんも出られるし。ね?決まりー」
「でも何かこう、派手さが欲しいよなあ?すぺさるなんだから」
「派手、ね……。派手なゲーム……」
 三人は暫し考え込み、同時に「あ、」と言った。
「チキチキバンバン」
「チキチキマシン猛レース!」
 誰とは言わないが一人だけずれた。
「カーレースなら派手だよな」
「パリダカくらいのやるか」
「いいぞ。パリダカでチキチキマシンをやる。そしたら仁史がケンケンで墓守がブラック魔王!」
 だははははは、と彼らはテーブルを叩いた。
 ちゃぷん。
「じゃ、チキチキマシンで決まり?」
と言ったのは、水から上がったカモノハシだった。タオルでごしごしと体を拭く。
「みんなが出られるように、好きな車で参加。ただしチキチキマシンらしく笑える車。参加者も笑いの取れる扮装をすること。チキチキに限定しちゃうと出られない人もいるから何でもいいよ。レースの前に審査するからね。コースは用意しとくから。あとよろしくね諒介」
 そう言ってぺたぺた歩いて集会所を出て行くカモノハシを三人は呆然と見送った。
「……特技の多い人だな」
「つーか忙しいんじゃなかったのかあれは!?」




 ここで、「チキチキマシンって何?」という若い読者のために説明をしなければなるまい。    言い換えればある世代より上の読者には説明は不要である。『チキチキマシン猛レース』はその当時の子供なら誰もが見ていた人気アニメーションの一つだ。
 アメリカの個性豊かなアニメキャラ達が番組の枠を超えて一堂に会し、それぞれ特色のある車を駆ってハプニング続出のレースを展開する。そして毎回騒ぎの元凶となるのが、優勝を狙って走行妨害するブラック魔王。魔王と犬のケンケンは『チキチキマシン』の顔とも言うべき人気キャラクターなのだ。




「笑える車なあ。改造アリ?」
「アリでしょう。チキチキマシンの車は変形出来たり何か出したり」
「はは、おもしれー。考えとこう」
 伊野と諒介は楽しげだ。しかしミオは頬杖を突いて口を閉ざした。
     私、免許持ってないんだよな。誰かの車にのっけてもらおうかな。
 観戦するなどとは思いつかないミオだった。
「改造アリならシトロエンで出ようかな」と諒介は目を細めた。
「2CV。エンジン入れ替えて、とろそうに見せかけておいてかっ飛ぶ」
「ははは。ボディが耐えられねーだろそれ」
「走行中に分解する」
「カリオストロの城みたいに?笑い取れるよそれ!」
 ははは、と彼らはひとしきり笑った。
「和泉さん、ルパンの格好しなくちゃだよ」
「それなら隣に花嫁姿の女性を乗せないとね」
「………」
     しまった。
 軽いジョークのつもりだったんだが………ミオの顔がわずかに曇ったのを見て、諒介は右手の先で口を覆った。
「…ごめん」
 ミオは、花嫁衣装を着ることが出来なかったんだ    
 口が滑った………諒介は俯いた。彼の周囲が一段暗くなったのを見て、ミオが声を上げた。
「……いや、それ面白いって!ねえ伊野さん」
「ならミオがやるか?」
「え」
「免許のある奴は持ってない奴と組むようにしないと参加グループが減るだろ。若葉ちゃんは免許持ってるし、梢子さんは野宮君と組むだろう」
「…うん…」
「いや、でも、その」
「おいしいぞー?行かず後家の花嫁姿。場内爆笑の渦」
「伊野さん、それ言い過ぎ…」
 諒介が言いかけた時、ミオが真顔で「やる」と頷いた。
「えっ!」
「笑いが取れるならやる!」
     いいのかそれで。
 諒介は呆然と頷くだけだった。




 そんなこんなであっちゅーまにレース当日。
 朝も早よから花火がぽふんぽふんと上がり、佐倉内一丁目のレーススタート地点はお祭りのように賑わっていた。
 諒介はネクタイを緩めて息を吐いた。黒いシャツ、辛子色のネクタイ。死ぬほど暑い。いったいどこで手に入れた物か、グリーンのジャケットを後部座席に放り出した。助手席のミオも「あちー」と言って長手袋を外す。ルパン三世とクラリスは、無事に出場資格を得てスタートの時を待っていた。
「…ま、笑われてなんぼの佐倉内だから。気楽にいきましょう…」
「…うん…」
 頷きながら、ミオは両手ではたはたと顔を扇いだ。暑い。ウエディングドレスなんか着てるから………恥ずかしい。とりあえず審査でウケたから良かったが、そのあとはただ恥ずかしいばかりである。受付で指示された通りにカーラジオのスイッチを入れた。気象情報が終わって音楽が流れ出した。
≪皆さんおはようございます。夏休みすぺさる2001『チキチキでGO!』、いよいよ開幕です!≫
「うそ、山崎君?」
≪本日の実況はわたくしフルタチ山崎がお送りいたします。解説には双月堂の丸山啓子さんにお越しいただきました。ども、ご無沙汰してます≫
≪こんにちはー≫
≪ゲストコメンテーターは日本画家の高畠深介さんです≫
≪やあ、どうも≫
≪では早速ですが出場選手を紹介しながらお話を伺ってまいりましょう。1番、ドライバーは伊野信吾とアシスタントの江上ひかる、これはまたユニークな車だ!機関車の形をしている!≫
「えっ」と二人は窓の外を見た。丸山が嬉しそうな声を上げる。
≪うわあああ!K-100!懐かしい!≫
≪これは三十歳以上の人はたまらないだろう!『走れ!K-100』、資料によるとー?改造されタイヤを履いた機関車で日本全国を旅する青年の心温まる実写ドラマ!実写であれが走ってたんですね!≫
≪K-100はね、人の言葉がわかるのよ≫
≪んー、メルヘンだ!ドライバーは機関士の帽子にチェックのシャツとオーバーオール!時代を感じさせるスタイルもよく似合っている!いかがですか高畠先生≫
≪私はね、あれに似た車が走っているのを駒込で見ました。実用性は充分に裏付けられていますね≫
≪なるほど!実話なんですね!≫
 実話である。
≪続いて2番はスバル360でエントリー!ドライバーは桜木修平と本城志郎、ナビゲーターに小宮山のはらが同乗します。いやしかし揃ってハンチングとニッカボッカ、ゴルフにでも行くのか?ノハラさんがまたよく似合う!≫
≪ああ懐かしいね、あの車。あのスタイルも昔のレースなら普通だよ。車も桜木さんはかなり改造してるだろうね。そっちの道の人だから≫
≪さあ〜、火を噴くかスバル360!≫
「あの車が火を噴いたら終わりだろう」諒介がぽつりと言った。
≪3番はショッキングピンクのライトワゴン、仕出し弁当『例の所』!スポンサーのようです。宣伝もぬかりない!乗り込むのは喪服の八神陽一と鎌田博!ペーパードライバー八神と今年還暦の鎌田、大丈夫なのか?≫
≪これは噂ですけど彼らには守護霊がついてるそうですよ≫
≪あー、何人か見えてるようだねー≫
≪後部座席が気になります!さて4番は≫
 中継用のカメラを構えたオランウータンがフロントガラスの向こうに立つ。諒介とミオはカメラに向かって無表情に頭を下げた。
≪ドライバー和泉諒介、ナビゲーターに石崎海音。シトロエン2CVでルパン三世だ!≫
「……は、恥ずかしい」
 ならなぜやるのか諒介。お辞儀したまま顔が上げられない二人。
≪最高時速80キロ!じゃがいもを積んで農道を走ることを前提に作られたという2CV、見かけは可愛いがタフな走りが期待されます!≫
 カメラが隣の車の前へと移動する。
≪5番は佐藤組、ドライバーは佐藤くんと丸山くん、で登録してるんですか?≫
≪すみません、うちの主人です〜≫
≪図工の丸山先生と双月堂の丸山さんがご夫婦とはいったい何人の読者が気づいていただろう!おそらく誰も気づかなかった筈だ!≫
≪主人、影薄いですからね〜≫
≪ナビゲーターに中学一年生、最年少参加の本橋ポンが乗っています。教師二名はジャージ、ポンちゃんはゼッケン付き体操服でハチマキ。予選ではポンちゃんが教師二人の馬に乗った騎馬戦スタイルでやる気をアピールした!全員小柄な佐藤組、車は古田さんのミニ!≫
≪古田さんの車ならきっと何かありますね≫
≪あるでしょう。怪しいです。小さい車でどこまで頑張ってくれるか楽しみだ!さて予選通過6組目、どん尻に控えしはドライバー逢坂仁史、ナビゲーター墓守。墓守はブラック魔王の衣装だが違和感がない!≫
≪彼は異世界の人だから着こなせるんだね。あの服が変だってわかってないよ、あの顔は≫
≪無表情です。一方逢坂は毎度おなじみ無印良品の白の長袖シャツだが?首を指差してます、あれは一昨日俺の所に借りに来たチョーカー!首輪です!やはりケンケンだ!≫
火村さんという見方もあるね≫
≪…………どうコメントしていいか一瞬わからなかった!師匠の言葉を聞き流して車を紹介しなければなりません!エスクードノマド、佐倉ダーリンからの借り物です!逢坂、すべて借り物で済ますか!≫
≪四駆というのはかなり有利なんじゃないですか?≫
≪そう思うでしょう。しかしあの車は走行距離10万キロを突破!一昨年には旅先で閉まらなくなったウインドウをガムテで留めて走ったという伝説のポンコツだ!その車に運痴で定評のある二人、果たして完走出来るのか!丸山さん、レースの予想はいかがでしょう≫
≪そーですねー、見た感じ優勝最有力候補は技術的体力的に伊野江上組かと思うけど、こーゆー人達って大抵優勝しないのよねー≫
≪丸山さん、さり気なくキツイっすねー!≫
≪レースの鍵を握るのは佐藤組だと思います。古田さんの車だしうちの主人いますしねー≫
≪高畠先生はどう見ますか≫
≪何をしでかすかわからないという意味では桜木車と八神車が怖いね。みんな頑張ってもらいたいと思います≫
≪はい、ではここでコースを説明します。佐倉内一丁目に急遽設置された特別コース、ここスタート地点の市街区から各種トラップを仕掛けられた様々な難所をくぐり抜けて走ります。参加者による走行妨害は失格となります。そんなことするより自分が生き延びることを考えた方が良いでしょう!≫
「おい」
 参加者全員ががくんとうなだれた。
≪距離にして約300キロ、さいたま新都心から千葉県勝浦市くらいですか。そんなわけでゴールは海辺のリゾート!優勝チームは豪華ホテル二泊ご招待!海の幸をふんだんに使った料理と温泉、スパにプール、そして海と夏休みを満喫だ!各チーム全力で頑張ってください!≫
 わああ、と歓声が上がる。観客は少ない筈だけど、とミオは辺りを見回した。スタンドの観衆はよく見れば書き割りである。音声はテープだった。どこで録音したのか「うーらーわーカモンカモンカモン」と聞こえてきた。
≪レースの様子は二機の中継ヘリが追います。予選落ちした野宮くーん≫
≪はいこちら上空の野宮です。現在スタート地点に並ぶ六台の車の真上に待機しています。もう一機のヘリには高所恐怖症の山崎の代わりに空が乗ってます≫
≪よろしくお願いします≫
≪はいよろしく!それではまもなくスタート、一寸先は闇、勝負の行方は便所の神のみぞ知る!≫
 つまり作者も知らない。
 各車はブルルとエンジンを鳴らして震え、スタートをカウントするシグナルが点灯した    諒介は深呼吸を一つして、低く呟いた。
「運転なんて八年ぶりだ…」
 ………何ですと?
 プッ、プッ、プッ、
「和泉さん、今なん  
 プーッと高らかなスタートの合図    キュキュキュとタイヤが滑って走り出す。ミオはシートに叩きつけられたような衝撃を受け、目の前の風景が顔面にぶつかるような気がして声を失った。
≪さあ浦和レッズサポーターの声援に送られて各車一斉に……おや?逢坂車ノマドが取り残されている!いきなりエンスト!≫
 逢坂は前方に走り去る車達を見つめながらキーを回してエンジンをかけた。きゅるる、きゅるる、と虚しい音がする。その手元を無表情に見る墓守。
≪スタートを切った五台はダンゴになってまもなくおーみやありーなを通過しようというところ!ここからは既に見えません!速い!≫
 きゅるるる。ぶるん。
 かかった、と逢坂はアクセルを踏み込む。
 ぎゅぎゅぎゅとタイヤを鳴らしてノマドは走り出した。
≪逢坂車スタート!この一分のロスを取り戻せるのか!≫
 上空で待機していた二機目    梢子を乗せたヘリコプターがその後を追った。