ご町内戦隊横一列 澤田よ永遠に…-3

 墓守の言った通りだ。
 きゅるきゅるとキャタピラを鳴らして走るコビトさん軍団と一緒に歩きながら伊野は思った。街を往く人々は、皆一様にコビトさんに驚くか、笑うだけだったのだ。誰一人として何がどうしたとまでは追求しない。
 これが制服の警官の集団ならば不穏にもなったろう。
 だが若い娘達に「きゃー!カワイイー!」と言われ、ぺたぺた触られて、「テヘッ」と小首を傾げるコビトさんなら何の心配も要らなかった!
 町中に散ったコビトさんはモデムを内蔵しており、古田の車を発見次第、電話回線に接続して報告が為されることになっている。路上駐車の車から立体駐車場までしらみつぶしに探してはいるが、古田のミニクーパーがいかに見つけやすい車だと言っても───広すぎる。
「伊野」と呼ばれて振り向いた。立ち止まった墓守が、足元を指差している。
「これは何て書いてあるんだ」
「ん?そりゃ…」
 地面に書かれた文字を見て、伊野は目を剥いた。
「…見つからねー筈だよ!」
 古田の車はレッカー移動されていた!
「よく気が付いたなおまえ」
「僕には車の種類なんて判らない。数字だけ見ていた」
「そーかそーかでかしたぞ」
 伊野に頭をぐりぐりと撫でられて、墓守はむっつりとした。───墓守の視点は子供のそれだ……と伊野は笑いを抑えながら、すぐさま報告の電話を入れる。
「伊野です。見つけました。弥生二丁目。…言問通りから入って…うん…」辺りを見回し、「いや、この辺りは一戸建てばっか…はい、じゃ」と電話を切った。
「コビトさん、澤田さんの部屋からここまで、曲がり角と交差点ごとに立って」
「ラジャ!」
 コビトさん達は「ピュー」と走り去った。「よし、この近くだ。空き家かアパート…」と伊野が言いかけた時、諒介からの電話が入った。「はい」と受けた伊野の顔が曇った。
「仁史の携帯が繋がらない……?」




 ───あれは……
 ああ、彼女が笑っている。嬉しくなった。
 今日は君にこれを渡そう。照れくさいな。
 ポケットを探って取り出した小さな輪。彼女の手を取って、それをそっと細い指にはめた。彼女は恥ずかしそうに俯いて、微笑んだ───その瞳が潤んで光る。
 ……本当に、いいの───?
 その思いを打ち消したくて抱きしめた。
 知らないよ。いいんだね。離さないからね。
 ───泣かないで───
 ふいに体を持ち上げられたような感覚と共に、逢坂は目を覚ました。
 ……今のは……今の夢は。
 軽く頭を振ると顳かみがズキンと痛んだ。体が動かない……後ろ手に縛られている。足首もだ……古田に捕らえられたことにようやく思い至ると、彼は頭を上げて澤田の姿を探した。
 澤田は頭を垂れて目を閉じていた。眠っているのか。気を失っているのか。それとも。
「…澤田…さん」
「…ああ、気ィついたか…」
 彼は頭を垂れたまま、力無く逢坂を振り向いた。
「…すまんな…。君までこんなことになって…」
 いや、彼は───と逢坂は目を伏せた。どうでもいいという言葉とは裏腹に自分をこの場に残し、何もせずそのままにしている。おそらく彼は自分に危害を加えるつもりはない……したくないのだろう……そう考えた。
「復讐…そう言いましたね…」
 逢坂は大きな黒い目を再び澤田に向けた。瞳に映る光が鋭く瞬いた。
「彼は恨んでいるんですか?BBの第三部がなくなったことを」
 説明しよう!
 BAND-AID BRIDGEシリーズは三部構成を予定して執筆されていたが、二部で完結した!第三部において諒介の秘密が明かされる筈だったが、諒介は秘密を打ち明けることが出来なくなってしまったのである!理由については『BITTERSWEET OF LIFE』を読んでくれ!
「…俺ら築地側にしてみれば打ち切りも同然やったからな。古田は築地の組合長やから、佐倉にかみついとったけど、『BBじゃ書けない』て、そのために書いて来たのと違うんか。二部で終わるて決まった時、築地のみんな承知はしたものの内心は憤懣抱えて爆発寸前やった」
「…知ってます」
「そうか…。俺もな…」澤田はフッと苦笑した。「由加待たせといて、和泉の身勝手で待たなくてええ言われても納得出来んやろ。でも奴が俺に言うたんや。『何だったんだろう』って、待たせていたこと。…それで判った。和泉にもどうしようもなかったんやな、って」
 逢坂は唇を噛みしめ、ただ頷いた。
 そう、あれは───由加さんが出した結論。
 それを受けて和泉さんが出した結論。
 そして二人の別離の後に、澤田さんが出した結論は───決して彼女を離さない……それらはすべて、彼ら自身で決めたことだった。
 それをなぜ今更……いや、今だからなのか───
 心臓を絞られるような痛みに、彼は澤田から目をそらした。
 ≪彼女≫を掻き抱いて振り払おうとした誰かの影。
 それは今もまだ消えずにいる。
「…古田が消えるか和泉が消えるしかない。俺と古田の仕事は終わった。どっちにしても俺は消える。戻れるか戻れないかの違いだけや。でも和泉が消えたら佐倉内は全部終いや」
「誰が消えても同じです。…諦めないで」
「………」
 逢坂は深呼吸を一つして澤田を見据えた。
「澤田さんが由加さんの許へ戻らなかったらすべて終わってしまうんです。ここは誰かの犠牲の上に成り立つ世界じゃない」
 和泉、と声が出かかった───澤田は目を伏せた。
 もしも戻れなくても……和泉がいる───奴が由加を支えてやれる───
 その思いは間違っているのか───?……由加。
「諦めないで」と逢坂はもう一度言った。澤田は頷いて良いものか迷った。
 逢坂の視線が横に流れてどこかを見た。ふ、と微かな笑みが浮かぶ。
 ───来た。
 夏草に覆われた玄関の戸の前で、伊野が目を閉じて精神統一をしている。深く息を吐き出すと、カッと目を開いた。
 ハッ、と小さく声を洩らすと目にも留まらぬ速さで足が高々と上がり、真っ二つに折れ曲がった戸の蝶番のネジがピンと弾き飛んだ。戸を蹴り倒して「行くぞ」と踏み込む。
「何や、今の音」
「さすが空手有段者」
 逢坂はくすっと笑った。扉の向こうの廊下をコビトさん達が走る音と「ゴヨ」「ゴヨ」という声がする。二人が注視する扉が開いて、現れた古田はニコニコと笑っていた。───笑顔だけはいつもと同じだ。
「全員お揃いのようだよ。フフフ、しかしここまでたどり着けるかな…?」
 アジトは4LDKだった!
 しかし古田は心理戦に長けていた。手に手に十手と御用提灯をかざし、わらわらと現れたコビトさん達を見て、横一列はひるんで足を止めた。
「か、可愛い………」
 その隙に、コビトさん達が「ソーレーッ」と一斉に襲いかかって来た。
「……ダメだ、コビトさんと戦うなんて僕には出来ない!」
 どこまでもメカフェチの桜木だった!
 次々と食らいついてくるコビトさんを手で払い落としながら伊野が叫ぶ。
「アホ、壊れたら後で直してやりゃいーだろが!」
「コビトさんは命令されてるだけなんだ!かわいそうじゃないか!」
「命令した奴は奧だろう」
 ぼそりと墓守が言うのを聞いて、桜木の闘志に火が点いた!
「奧かァァァァァ!」
 彼は廊下に積もった埃をもうもうと巻き上げて奧へと突進していった。
「……あーあ、あれ何にも見えてねーぞ」
 砂煙に巻かれた彼らの咳がようやく治まると、廊下の両端には蹴り倒されたコビトさん達が倒れ、獣道が出来ていた。廊下を進む。奧の間の扉を開けて飛び込んだ桜木の赤いツナギの背中が見えた。
 古田───いや、復讐心にとらわれた男、フルタミーノと対峙している。
 彼らが部屋に入ると、古田は諒介に向かって「おつかれ」と言った。まるでいつも仕事の後に言っていたように……。寒気がする、と墓守は思った。
「フフ、ご町内戦隊とはよく言ったものだね。揃いのコスチュームまであるんだ。…そっちの人は?私服?」
「郵便局の制服だ」
 墓守は密かに天然だった!
 古田はせせら笑った。
「ふざけてるの?」
「貴様…ッ」
 諒介が一歩前に踏み出し、古田の襟首を掴んで拳を振り上げた。───その手は諒介の頭上で止まり、震えた。
「僕は本気だよ、和泉」
「…なら僕も本気を出す」
 ガツッと固い音がして古田は後ろに倒れ込んだ。振り下ろされた拳はまだ固く握られていた。桜木と伊野がとらわれた二人の縄を解きにかかる。諒介は肩で息をして古田を見下ろしていた。
「ねえ和泉…」
 古田は半身を起こして壁に寄り掛かった。
「僕らは何の為にここにいる?…何の為にこの世界はある?」
 フフと笑って彼は眼鏡を外し、元から開いているのかよく判らない目を閉じた。
「僕らの生は綴られた文字の上にしかない。この部屋も、この町もだ。そしてエンドマークが出れば……時が止まる。その先の生はない。僕らは、何の為に生きているんだろうね。……和泉、おまえが語れなかったことで何人の生が閉じられただろう?儚く消えてゆくんだろう……?」
「………」
「和泉、おまえなら……澤田と渡り合って、泉ちゃんの心をつかまえることだって出来た筈だ。それをしなかったのはなぜなの」
 澤田は目を細めて諒介を見た。見づらい物を見る時の目……直視するのが辛かった。
「それが出来ていたら結末は違っていた筈だ」
「結末の為に生きているのか、あなたは」
 その声に、皆ゆっくりと墓守を振り返った。
「誰が自分の人生の結末を知っている?そんな人は一人もいない。だからあの物語はあれで終わった」
「古田さん」
 縄を解かれた逢坂が、胡座をかいた膝の上のコビトさんを抱え込んで微笑んだ。
「それは…この町の外の人達が生きるのと、何一つ変わらないんです。出逢いがあって物語が生まれて、出逢わなければ何もないまま……人の心に綴られない生もあるんです。でもそれはどこかにあって、確かに生きてる。誰かの上に綴られてる。それは僕らと同じじゃないですか。僕らの生は、絵空事じゃないんですよ」
 古田の細目からわずかに覗く瞳がきらりと光った。そして、微かに何度も頷いた。
「…ああ、そうだったのか…」
 皆の顔に微笑が浮かんでいた。……墓守は、誰にも気付かれないようにそっと後ろを向いた。



 西に傾いた陽が眩しく橋を照らしていた。中央区築地、勝鬨橋。隅田川は夕陽のオレンジ色にきらきらと輝き、橋の向こうは───霞んでいた。
 そこが、澤田の未来のある場所だ。
 この輝かしい時の為に……桜木も墓守も無理を言ってここまで来たのだと、皆にはもう判っていた。時空を超えた遠くから───澤田は照れ笑いを隠すように橋を振り向いた。
「…何や、三途の川渡るみたいやな」
 横一列は合掌し頭を垂れ、澤田は「違う」と笑った。
「和泉、覚えとるか、あれ」
「あれって?」
「んー…ほら、あれやあれ」
 伊野が目配せし、四人は頷き合って、澤田と諒介から離れた。橋のたもとのテラスへと階段を下りてゆく。
「俺と由加が初めて一緒に送ったメール」
「…ああ」
 諒介は軽く俯いて苦笑し、鼻のあたまを撫でた。
「忘れるなよ」
「…うん」
 忘れないよ、と彼は思った。
 忘れていない。ずっと覚えている───
「…また、いつかな」
「うん」
 いつかこの橋を越えて行く。
 綴られることのない、けれど確かにある未来へと。
 その時、僕らは昔のように、肩を寄せ合い笑い合うだろう。
 その日を、彼らは待っていてくれている───
 澤田は背を向けてゆっくりと橋を渡り始めた。
 諒介はその姿を目に焼き付けるかのように、じっと見つめていた。
 橋の下のテラスからも、四人が去って行く澤田の姿を見送っていた。桜木がふっと溜息を吐いた。
「…やっぱり、淋しいね」
「いちばん淋しいのは諒介だろう」
と伊野が彼を見上げた。桜木は頷いた。
「うん。…今はそっとしておこうか」
 橋の上でじっと佇んでいた諒介が、携帯の着信音にポケットを探った。「はい」と言うなり、頭を傾けて電話を耳から離し、左目を細めて苦笑した。肩をすくめて耳に電話をあて、橋に手を突いて頭を下げた。
「……ごめんなさい!」
 テラスの四人は顔を見合わせた。頭に包帯を巻いた逢坂がにっこりと笑う。
「大丈夫だよ。僕らがいるし」
「説教済んだら呑みにでも行くか?」
「その格好で行くんですか」
「鳶職の人だと思えば」
「桜木さん…何でそんなこと知ってんだ…」
「ふふっ。僕も電話しようっと」
 逢坂が皆から離れて携帯を取り出す。「どこに?」と訊かれて彼は「決まってるじゃない」とボタンを押して、テラスの柵に寄り掛かった。
「あ、僕です。……うん。……もう解決しちゃったよ。……え?何時頃?……あ、その時は携帯取られちゃってたの」
 なあんだ、という顔で伊野と桜木はベンチに向かった。諒介が階段を下りて来る。墓守は眩しげに川面を見つめていた。逢坂は彼らを見て微笑み、声を落として囁いた。「後でゆっくり話して聞かせてあげるから……」
 空を見上げた。
「かっこよく書いてね」

「ご町内戦隊横一列」 佐倉蒼葉 2001.5.24


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