ご町内戦隊横一列 澤田よ永遠に…-1

 薄い水色の朝の空の下を涼しい風が吹き抜ける。
 午前八時半。新生百万都市、さいたま市の片隅のとある団地では、住民による月に一度の清掃が行われていた。若奥様達は明るい声でお喋りしながらゴミを掃き集めている。
 一人離れて黙々とホウキを動かす女性が一人。彼女は先の若奥様達より若いが、人見知りと生真面目な性格のため、つい黙々と掃除に励んでしまうのだ。しかし当人は楽しんでいる。月に一度の団地掃除は、お喋りが苦手な彼女がご近所付き合いをする貴重なひとときなのである。
 奥様の名前は蒼葉。旦那様の名前はダーリン(格上げ時)。
 二人は割と普通の恋をし、ごく普通と言えなくもない結婚をしました。
 でも奥様には一つだけ秘密がありました。それは………
 奥様はヲタクだったのです。
 ───言えねーよな、そりゃ。
 そしてお話作りが趣味の奥様の頭の中には、一つの町があったのです………




 薄い水色の朝の空の下を涼しい風が吹き抜ける。
 午前八時半。佐倉内一丁目の集会所の前をホウキで掃く人影が一つ。フンフンと鼻歌を歌いながら楽しげに掃除をしている。ゴミを集めて袋に入れ、それをゴミ集積所に置くと、両手の砂埃をぱんぱんと払い落とした。
 さらさらした黒髪。黒目がちの大きな目と長い睫毛。柔らかそうな頬には右の耳たぶ近くに小さなほくろ。あどけないという形容が相応しい童顔だ。空を見上げて気持ちよさそうに目を細めると、頬の輪郭もふわんとした。
 その太陽のような笑顔を可愛いと思った人は、首から下を見てはいけない。
 のどぼとけ。固い肩の線。平らな胸。細い腰。ジーンズを履いた細長い脚の先のスニーカーのサイズは26センチ。先程の愛らしい顔の頭部を合わせて身長172センチ。
 どこからどう見ても男。がっかりだ!
 彼は「だーれも掃除に出て来てくれないんだもの…。楽しいのに」と肩を落とした。
 もっともこの平和な町、佐倉内にはゴミはほとんど落ちていない。住民のマナーの良さが窺える。彼が掃き集めたのは風に運ばれてきた砂や枯葉くらいのものだ。
「…ま、いいか。今日はみんな集まる日だから、中の掃除もしなくっちゃ」
 説明的な独り言を呟いて、彼はポケットから集会所の鍵を取り出した。
 たまに見かける、歩きながら一人でずっと何か喋っている怪しい人のようだが、そうではない。
 人の耳には聞こえない周波の音に意識を合わせ、その音を聞き取る───ラジオと自称する彼は、こんな時、誰かに話しかけているのである。今ならば集会所の建物や、周囲に植えられた木々に話しかけている。
 集会所の鍵を持っている彼は、佐倉内の自治会事務員、逢坂仁史。
 彼は掃除が大好きなのだった!
 集会所は利用される度に、簡単にではあるが利用者によって掃除が為されている。床を軽く掃いてテーブルを拭くだけで済むのだが。
 それらが済むと、逢坂は青空から差す眩しい陽光をガラス越しに見て「そういえばしばらく拭いてなかったね」とアルミサッシのガラス戸に話しかけた。収納庫から古新聞とバケツを取り出し、口笛でビートルズ。彼はバケツに汲んだ水で新聞紙を湿らせ、ガラスを拭き始めた。上半分が終わるとしゃがみ込んで下半分の目隠しのガラスを拭く。ガラスクリーナーの泡を噴き付け、このデコボコの間に汚れがたまるんだよね、などと思いつつ拭きながら瀕死のカニのように横に移動して行く。デコボコの間にたまった汚れとの闘いに無我夢中になっていた彼は、傍らのバケツに気付かず横に一歩動いて、バケツと共にひっくり返った。
「わ、雑巾雑巾」
 彼は雑巾の名を呼んだ。当然ながら返事はなかった!
 Tシャツやジーンズの裾から水を滴らせて部屋を横切り、雑巾を取って床を拭いた。「あーあ、びしょびしょ…」と溜息を吐いて、ジーンズを脱ぎながらガラス戸の向こうの外を窺った。
「誰も見てないよね」
 読者が見ていた!
 彼は脱いだジーンズをくるりと丸めて抱え、スニーカーと靴下をその場に残して、Tシャツとトランクスという格好でぺたぺたと廊下を走り、二階への階段を上がって行った。
 そこへ、玄関の古びたドアをギイッと鳴らして入って来たのは、大きな紙バッグを肩から提げた女性だった。集会室の床に脱ぎ捨てたスニーカーを見つけて「おはようございまーす」と朗らかな声で言い、返事がないことに首を傾げた。ふわりと揺れた、頬に掛かる長い前髪を掻き上げる手首に華奢なバングル。集会室にバッグを置いて、「仁史君、どこにいるの?」と呼びかけながら二階へと向かった。
「くす玉、天井に吊すの手伝って欲しいんだけど…」
 階段を上がって正面の部屋のドアを開けて、彼女は呆然と立ち尽くした。
「……ごめんなさい」
 掠れた声で謝ったのは逢坂だった。彼女はかくかくと頷き、「こりゃまた失礼いたしました…」とあの名台詞を呟いて、そっとドアを閉めた。
 弟分のパンツいっちょくらいでは騒がない大人の女、石崎海音。
 ……や、ちょっとびっくりした。てゆーか後からどんどん驚きのウエーブが!
 眩暈を起こし階段の踊り場でうなだれるミオの視界の波間にドラえもんが浮かんでは消えて遠ざかっていった。
 ───ギイッ、と玄関のドアの開く音と、コツコツと固い靴音。一階の廊下から踊り場を見上げて「ミオ」と呼ぶ。つぶらな瞳のとぼけた顔に黒縁眼鏡をかけた青年である。
「…あ。和泉さん…」
「どうしたの。顔赤いよ」
「…何でもないっす…」
 その時、着替えを済ませた逢坂が部屋から出て来た。集会所に常備しているツナギ。淡いクリームイエローが鮮やかでもあり目に優しくもある。階段の手摺越しに身を乗り出し、一階を見下ろして「あ、もう着いたんだ」と彼に笑いかけた。それからミオを振り向き、
「ミオさん、何だっけ。くす玉?脚立取って来るね」
と軽い足取りでぺたぺたと階段を駆け下りて行った。ミオもゆっくりと階段を降りて廊下の先の物置に目を遣る。脚立を抱えて戻った逢坂に「どうして裸足なの?」と訊ねた。「バケツの水こぼしちゃって」との答えに、なるほどそれで着替えたのか、と頷いた。
 こうして逢坂と並ぶと、和泉諒介の痩せ気味の体躯もずいぶんと大きく逞しく見える。身長176センチ、逢坂とさほど差はないのだが。
 逢坂は集会室のガラス戸を開け放し、ひなたに濡れたスニーカーを置いた。諒介は隅の椅子に腰を下ろして眠そうな目でぼんやりしている。逢坂の「高速バスで来たの?」の問いにも黙って頷くだけだった。
「二階で仮眠取ったら?」
「いや…準備手伝うよ」
 眼鏡を外して両目を指できゅっと押さえ、諒介はそう答えたが声に覇気がなかった。逢坂とミオは顔を見合わせた。一晩中バスに揺られて大阪からここまで来たのだから疲れている筈だ。それでも彼がそう言う気持ちもよく判った。
「…あ、コーヒーいれて来たの。よかったら…」
 ミオは紙バッグから保温ポットを取り出してテーブルに置いた。諒介はようやくフッと微笑んで「貰うよ」と手を伸ばした。
「カップ取って来る」
「いいよ、蓋で…」
 諒介はコップにもなる蓋を開け、中の栓をキュッと捻り、ポットを傾けた。すると捻り過ぎた中栓がゴトッと落ちてコーヒーがテーブルに溢れた。
「あちっ」
 一瞬にして目が覚めた諒介は椅子を蹴り倒して立ち上がり、その腕を逢坂がぐいと引いた。開放されたガラス戸の方から直接外に出て駐車場の隅の水道の水を出す。迸る水を服の上から膝にかけさせて「しばらく冷やしてて」と言った。テーブルを拭きながらミオが声をかけた。
「和泉さん大丈夫?」
「たいしたことない」
「今日はこんなことばっかりだなあ」と逢坂は床を拭いた。
「何が」
 そう訊ねた声は諒介のものより低かった。いつのまにか諒介の隣に立っている、胡麻六割の胡麻塩の鬢───見た目はオヤジだが中身もオヤジ。しかしまだ三十路を少し行ったばかり。伊野信吾は胡麻塩頭のてっぺんから、水も滴るいい男だった。
「…伊野さんこそ、何でびしょ濡れなんですか」
「今そこで」と伊野は後ろを指差した。「洗車してるとこ通りかかったら水ひっかけられた」
 そして彼は逢坂のツナギに目を留めて「そういや着替えがあるんだったな」と玄関の方へ歩き出した。諒介も「僕も着替えよう」と後に続く。逢坂がくすっと笑った。
「何か変なの…。冬じゃなくて良かったね」
「うん」
「じゃ、飾り付け始めようか」
 逢坂は集会室の壁際に脚立を立てて上った。天井に備えられたフックの一つに手を掛け、ミオからくす玉を受け取って吊した。それから二人でテーブルを動かして位置を変え、クロスを掛ける。その周りに椅子を配し、準備が整った頃に伊野と諒介が二階から降りてきた。
 伊野のツナギはカーキグリーン、諒介のツナギはインディゴブルーのデニム地である。三人とも同じサイズの物で、伊野にはちょうど良く、諒介にはやや緩い。逢坂に至っては肩も落ちて袖が長くぶかぶかだ。伊野の身長、175センチ。
「ガソリンスタンドかここは…」
 ミオがぼそっと呟くと、「こんにちはー」と玄関からの陽気な声に逢坂が「いらっしゃいませー」と答えた。
「…あれっ、何でみんなおそろいなの?」
「着替えがこれしかねーから」
 他に理由はなかった!
 しかし桜木はニコニコして「じゃ僕も着替えよう」と、さっさと二階へと上がって行った。
 細身の眼鏡、細い顎、そして上目遣いに相手を見る癖が、時には鋭く尖った感性を匂わせる。しかし彼は大抵へらへらと笑っているのである。桜木修平。21XX年生まれ。ちなみに今年は何年ですか?
「…どうやって来たんだろ…」
「…それより、何で来たんだ?」
 ツナギの三人は額を寄せて小声で話し、そっと二階の様子を窺った。程なく戻った桜木は、濃い赤のツナギを着ていた。「似合う?」と笑顔で訊かれ、四人は機械的に頷いた。
「怖いくらい似合ってるよな」
「俺に振るなよ伊野さん」
「…桜木さん、どうやってここまで…?」
 ミオが語尾をごまかして訊ねた。
 桜木は眼鏡の奧から遥か彼方を見つめ、
「世の中には知らない方が良いこともあるけど……」
 ゆっくりと振り向いた。
「…………………知りたい?」
「いえいいです」
 全員即答した!
「…あれ、これ何?」
 くす玉を見上げる桜木に、ミオは「それ私が作ったの。なかなかの出来でしょう」とにっこりした。伊野も腕組みをして見上げる。
「ミオはこういうの得意だよな」
「まあねー。仕事でいつもやってるからね」
「へえ、…この紐は?」
と桜木はいきなりくす玉から伸びる紐を引っ張った。
「あああーっ!」
 音もなくくす玉が割れた。風船が幾つもこぼれ落ち、紙吹雪が舞う。するりと降りた垂れ幕には明朝体のレタリング───
 『澤田智彦さん おつかれさま ありがとう』
 桜木は「わあ、きれいだね」と無邪気な笑顔だった。
 真性のバカはくす玉を知らなかった!
「……休み時間に切った紙吹雪……三日かかった垂れ幕……材料集めだって……」
 虚ろに呟くミオの目に涙が溜まっていた。
「大丈夫、澤田さんまだ来てないし」逢坂が床に散った紙吹雪を掻き集めた。
「今何時だ」脚立に上って割れたくす玉を下ろす伊野。
「十時十分前」
 諒介は風船を拾い集め、床にへたり込んだミオの膝にそれを落とした。桜木を振り返って指を差す。
「桜木さん、澤田が来たらその辺の暗がりにでも連れ込んで足止めしておいて」
 そんな場所はない!
「その前に伊野さんが桜木さんを暗がりに連れ込んで好きにしていいけど」
「気色悪いこと言うなあ!」伊野はぶるっと震えた。
「………」
 真顔で諒介を見つめていた逢坂が駐車場を振り返った。ピンクのワゴン車が戸口の前に停まる。ボディの『仕出し弁当 例の所』の文字が開け放した戸の前にぴたりと合った。逢坂は「ミオさん、テーブルセッティングは僕がやるからくす玉直して」と立ち上がった。
 逢坂がテーブルにパーティー料理を並べる間に、三人がかりでくす玉のあんこを元の通りに詰め込む。桜木は澤田を待ち伏せる玄関に座り込み、拗ねた顔で自分の爪先を見ていた。
 諒介が怒るとは思っていなかったのだ。
 しかし今日のパーティーが澤田の送別会であることを考えれば、彼が怒るのも仕方ない。二人は長年に渡って苦楽を共にした友人であり、先頃には擦れ違いもあってその友情も危ぶまれていたが───それを乗り越えての門出の日なのである。
 桜木は拳で軽く自分の頭を小突き、ぽつりと呟いた。
「…僕ってダメコちゃん。テヘッ」
 本当に反省しているのか!
 ふうと溜息を吐いて上げた目に、奇妙な物が映った。
 50センチくらいの高さ。箱形の頭と胴体。全身銀色。二本の腕を伸ばして懸命に玄関のドアを押しているが、ドアはびくともしない。キャタピラを履いた足をローラースケートで走るように動かしている。
 通称コビトさん。働き者のロボット軍団の一体である。
 ……そのドア、引くんだよコビトさん……
 桜木は立ち上がってドアを押した。向こうでコビトさんがころりと転がった。
「マイドー」
とコビトさんは起き上がった。コビトさんは何があってもめげないのだ!
「何か用?」
「オトドケー」
 くるりと回れ右したコビトさんの背中に小さな包みがくくりつけられていた。桜木が「ああそう。ありがとう」としゃがみ込んで包みを取ると、コビトさんは頭をくるっと45度回して振り向き、片手を軽く挙げて口元の歯をきらっと光らせた。
「マタナ!」
 さわやかに去って行くコビトさんだった!
 桜木は包みを縦、横、斜めと傾けて、何処にも宛名がないのを確かめた。集会室へ戻ると、くす玉は元通り天井から吊されており、皆は椅子に腰掛けて手持ち無沙汰にしていた。
「珍しいな…。澤田が時間に遅れるなんて」
 澤田は乙女座A型だった!
 壁の掛け時計は十時半を差している。送別会を開くには早い時刻と思われるだろうが、昼食を兼ねて飲み食いをした後にカラオケだのボウリングだのに繰り出し、夕刻には澤田を見送るという予定なのである。
「あの…、これ」
 桜木はおずおずと包みを差し出した。諒介がまだ怒ってやしないかと不安だったのだろう。
「誰宛のか書いてないんだけど」
「………」
 諒介は目を丸くして包みを受け取り、桜木がしたようにして宛名も差出人も書かれていないのを確認した。彼は「では皆さんの立ち会いのもとで僕が開けます」と封を切った。
 出てきたのはビデオテープが一本。ラベルも貼られていない。諒介はテープをビデオデッキに差し込み、テレビを点けて再生ボタンを押した。
 画面に現れたのは彼らのよく知る男だった。白い壁をバックに、一人掛けのソファに重そうな体をゆったりと預け、地蔵のような笑みで≪やあ。みんな元気?≫と語りかけた。
≪今日はみんなに言わなければならないことがあるんだ。実はね、…フフ、今まで隠していた僕の正体≫
「は?」と諒介の肩がかくんと落ちた。
≪……僕の本当の名前はフルタミーノ≫
「ラテン系の人?」
 違うぞ逢坂!
≪ま、今日からなんだけどね≫と丸眼鏡を指でチョイと上げ、古田稔はニッコリとした。
≪名前なんてのは対象を認識するための記号だ。僕の新しい名前は、君達が新しい僕を認めるためにある。…そう、佐倉内の帝王、フルタミーノをねフフフ≫
「どう見てもおまえは古田だろう」
 画面に突っ込む諒介だった!
 伊野がテーブルに頬杖を突いてのんびりと言った。
「来られない古田さんが余興の代わりに送って来たんじゃねーの?」
「…ああ、それなら澤田が来てから一緒に見ようか…」
 諒介はフッと笑って停止ボタンに手を伸ばした。……その時。
≪澤田智彦の身柄は預かっている。そっちには行けないよ≫
 一同の間に驚きと緊張が走った。
 画面に映し出されたのは、椅子に拘束された澤田の姿だったのだ。
「何、これ…本当に…シャレのつもりなの?」
 ミオの声が震えた。
≪佐倉内をフルタミーノ帝国と改め、君達が僕に従うと言えば澤田は無事に返してやるけど…。それが嫌なら、澤田がどうなっちゃっても知らないよ?≫
「冗談にしか聞こえねーけどな……」
 そう言う伊野の声も重い。
≪澤田、これ、何だ?≫と古田は傍らの本を一冊手に取って澤田に近づいた。本の背に見える文字は───
 『No Make 広末涼子写真集』
≪汚らわしい手で触るなあッ!≫
 集会室では一同が椅子ごと床に倒れていた!
 古田は写真集のページをゆっくりとめくりながら、
≪あのコマーシャルいいね。シャワー浴びる背中≫
≪妄想するなあああッ!≫
≪おや?澤田だって妄想するでしょう?≫
≪それを言うなあーッ!≫
 澤田はぐったりと頭を垂れて動かなくなった。
「…何だ、やっぱり冗談…」と諒介が言いかけた時、画面の古田が≪和泉≫と呼びかけた。
≪僕だって澤田を無傷で返してやりたいのよ。……泉ちゃんを悲しませたくないでしょう?≫
 ───本気だ。
 彼らは身動きも出来ずに画面を見つめた。
≪僕は時代劇の悪徳商人で終わるような器じゃないのよ。それは判っているでしょう?たかだか佐倉内一つと言っても、住民登録数約五十、小さな町としか思えないのに新幹線が走って大阪や京都までご町内だ。いいや、その気になれば世界がすべて佐倉内という町になる。時の流れさえ思うままだ≫
 桜木が唇をぎゅっと噛んだ。
≪バカ正直に秩序を守るだ何だ、君達はそうしているけれど、こんないい加減な世界はないよね。だったらもっと好きなようにやる。僕がこの世界を動かし……≫
≪和泉!≫
 澤田が顔を上げて叫んだ。
≪古田の言うことなんか聞くな!俺はもう居なくなるんやから……≫
≪フフ、美しい自己犠牲の精神ね。こんな可愛い澤田を無事に返して欲しかったら、僕に従うと誓うこと。いいね。君らが口に出して言うだけでいい。それで佐倉内の町は生まれ変わる。フルタミーノ帝国にね≫
 プツリと映像が消えて画面は青一色に染まった。
 口に出すだけでいい───
 それはこの佐倉内の世界が、彼らの意思によって成り立っているという意味である。だから彼らが古田を帝王と認めれば、古田帝国が生まれてしまうのだ。
 誰も声を発することが出来なかった。何か言ったら、異変が起きてしまいそうだった。
 ふいに、長い沈黙を破ったのはミオだった。
「…このまま…何もしないで時間が経っちゃったら、澤田さん何されるか判らないじゃない!」
「澤田に何かあったら……」
 小声で言う諒介の横で、逢坂が顔を伏せてぎゅっと目を閉じた。
 桜木が勢いよく身を乗り出し、床をバンと叩いた。
「諒介。こんな時こそ僕らの出番じゃないか!」
 え?と皆が桜木を振り返った。彼は真顔で皆を見回し、「このツナギを着ている僕らは何なんだ?」と低く言った。
 ツナギの意味を問われて、彼らの瞳に光が宿った。
 ───改めて紹介しよう!
 坊ちゃん育ちの素直さも裏を返せば一本気の熱血漢!環境衛生部、桜木修平!
 判断力、行動力共に優れた事実上のチームリーダー!自治会長、和泉諒介!
 細かな雑務から悩み相談まで小回りの利くサポーター!事務員、逢坂仁史!
 堅実さと逞しさが信頼を集めるみんなの兄貴!総務部、伊野信吾!
 彼らは頷き合い、立ち上がった。
 桜木の身長、175センチ。彼らにはほとんど身長差がない。
 人呼んで、ご町内戦隊横一列!
 それが佐倉内の平和と住民の暮らしを守る熱き男達、佐倉内自治会役員なのである!!
「ブラックが来てないね」
「桜木さん、その呼び方やめませんか…」
 諒介はかくんとうなだれた。
 黒のツナギを着るべき人物も紹介しておこう。
 辛口批判で横一列の軌道を正す若き重鎮!自治会顧問、墓守!
 ……彼は異世界に住んでいるため、通常の方法では連絡が取れない。町長・佐倉に連絡を頼むしかないのだ。
 諒介は携帯電話を取り出して佐倉に電話をかけた。
「……チッ、何で佐倉の携帯はいっっっっつも圏外なんだ!」
 佐倉の家はNTTドコモのエリアマップで見ると通信圏のギリギリ端っこにあるのだった!
「佐倉が古田の野心に気付いてるかどうか…。仁史、メール送っておいて。パソコンと携帯と両方」
「はい」逢坂が早速携帯でメールを打ち始める。
「奴らの居所を探す。それから…気になってたんだがあのビデオを撮影した人間がいる筈だ。大柄な澤田を古田一人で拉致は出来ないだろうしね。このことがどの程度広まっているか至急調査」
「広まってりゃ佐倉も気付く。そしたらとっくに諒介に連絡が来ているだろう」
 伊野の言葉に一同が頷く。諒介は指先で顎を撫でて少し考え込んだ。
「…今日から、と言っていたな…。僕らがここに来た後に動き始めたのだとしたら」
「役員が一箇所に集まってる。気付かれない間に事を運べるね」と桜木。
「よし、澤田の部屋と近辺を捜索。拉致してからそう時間は経ってない。古田の与野の自宅には子供達がいるから澤田を監禁してはおけないし、澤田を捕らえてビデオを撮り、ここに送るまでの時間が短いことからも、アジトは離れていない筈だ」
 諒介はロッカーから佐倉内の地図を取り出した。
 『エアリアガイド/4649 佐倉内』!日本全国の佐倉内の見どころが満載のガイドブックだった!
 文京区のページを開いてテーブルに置く。全員で地図を覗き込んだ。逢坂がてんてんと地図を指差しながら、
「澤田さんの部屋はここ。野宮君の部屋のすぐ近くです。ここから一駅分離れて、ここに梢子さんの部屋。拠点を六角屋に移しませんか。近い」
「判った。ミオはここに残って」
「ええ!どうして!」
「他の誰かに何かあったら、連絡は自治会事務所に来る。そのための留守番」
 諒介に睨まれて、ミオは黙って頷いた。諒介は短く「頼む」と言うが早いか駆け足で集会所を飛び出して行った。伊野と桜木がそれに続き、逢坂は干しておいたスニーカーに足を突っ込んで駐車場を駆けて行った。
 ───彼らは澤田を無事救出できるのか!
 フルタミーノの野望を打ち砕き、町内の平和を守りきれるか!
 戦え、自治会役員横一列!!
 (つづく)