二千年度林檎の赤の如し夏休みすぺさる

作/佐倉蒼葉

















 東京の湾岸部は埋め立てを繰り返して整備された事が、地図に見るその輪郭からも伺い知れる。現代の地図と古地図を重ね合わせてみれば、かつては海であった土地の多いことが判るだろう。
 東京都中央区。隅田川を越えて築地と勝どきを結ぶ橋、勝鬨橋。
 この橋は跳ね橋である。かつては一日に五回ほど、橋の上の通行を止めて、橋の中央部を開閉させて大型船を通したが、橋の上の交通量が増えた事や港が整備された事もあって、現在は開かずの橋となっている。
 橋の架設地点には元々、日露戦争の旅順陥落を記念して設けられた『勝ち鬨の渡し』があった。それに由来し、昭和十五年に完成した橋は日支事変の戦勝を祈念して『勝鬨橋』と名付けられた。
 そう、昭和まで、ここに橋は存在しなかったのである。
 築地は江戸時代初期に埋め立てられ、『築地浜』と呼ばれていた。対岸の勝ちどきもまた後に埋め立てられた土地である。当然、橋もなかったのだ。

 だが、もしも江戸時代に勝鬨橋があったら    

 この物語は、存在し得ない江戸の町を舞台に繰り広げられる下町人情とすったもんだの物語であり、杉浦日向子先生がご覧になれば即刻シュレッダーで千切りにした上で火をつけるであろう時代考証無視と、多少のことは「この時代に勝鬨橋があるんだしー」の一言で片付けられるといういい加減さによって成立している。そういう物語が嫌いな読者はここから引き返すことをお勧めする。

 何でもいいからギャグが読みたい!ばかばかしいの大好き!
 というラヴリィな読者ちゃんだけ、先にお進み下さい。
 ただし、後悔しても作者は一切責任を持ちません。悪しからず。

 では、どうぞ。




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