天使とレプリカ/5

 キリエが「ニュースを見ましょ」とテレビを点けた。コミヤマの記者会見。細長いテーブルの真ん中に居るのがノハラの母親、小宮山新社長だろう。その隣に上村が無表情で座っていた。
 彼女は予定通りの発表をした。
「───アンドロイドの活動の場を広げることは、我々の生活の安全や平和に貢献すると確信しております」
 五十歳くらいだろうか、それよりも若く見える小宮山新社長はシオよりもずっと機械的に微笑んだ。なるほど、鉄面皮というより鉄仮面だ。
 取材陣の興味はそれよりもノハラの方に向けられた。
「社長のご家族のノハラさんが元ハンズ・アンド・ハーツの社員だった事について、HAHでは研究や技術の漏洩を懸念しているようですが」
「アンドロイドの研究が始まって一世紀が経っています。アンドロイドはHAHオリジナルという事はないでしょう」
「今回の盗難事件でノハラさんに容疑がかけられた事について、どのようにお考えですか」
「すぐに容疑が晴れてホッとしました。防犯カメラの騒ぎといい、警察には慎重な捜査をお願いしたいです」
 上村が会見を切り上げた。口々に質問を投げて追いすがる取材陣から社長をかばうようにカメラの前に立つ。画面はスタジオのキャスターの顔に切り替わった。
 事件に関してHAHは「まだ捜査中の事なのでコメントは差し控える」の一言で、コミヤマの発表に対してはノーコメントだった。
「ふうん。どっちも無難な線ねェ」
「それが戦略らしい…」
 スタジオには経済学者や弁護士がゲスト出演していた。コミヤマやHAHが何も言わなくても、彼らのコメントは見る者の興味を掻き立てるのに充分だった。僕は上村の顔を思い出してまた腹が立った。キリエはなるほど、と頷いて、
「勝負はどっちつかずね。互いに隙を狙って動かないサムライみたい」
「勝負がつく時は…」
 言いかけるとキリエは首を横に振って、ちらりとシオを見た。僕は黙った。
 勝負がつく時はアンドロイドの未来が決まる時だ。
 シュウヘイはなかなか戻らなかった。僕らはルームサービスで食事を済ませ、キリエとシオが同じベッドで寝る事になった。キリエは下着姿になってベッドに潜り込むと「子供の頃みたい。友達とこうやって一緒に寝たのを思い出すわ」とまたはしゃいだ。
「状況を判っているのか、キリエ」
「シロウと同じくらいは判ってるわよ。フン、天使と一緒のベッドが羨ましいってそう言いなさいよ」
「キリエ」
 彼女はアハハと笑った。
「シオ、あったかいわね。私こういうの大好きよ。幸せな心地だわ」
 そう言ってキリエはシオにぴったりと寄り添った。
「なぜキリエは幸せなの?」
「誰かが側に居るのは幸せよ。こうして体温を感じるともっと幸せだわ。…おやすみィ。シロウ、明かり消して」
 まったく、相変わらずの快楽主義者だ。僕はドア近くの小さな明かりを残して部屋を暗くした。
 僕はしばらくシュウヘイを待ったが、眠くなって椅子に座ったままトロトロとしていた。コンコン、とドアを叩く音で立ち上がるとふらりと壁にぶつかった。かすんで見えるドアに向かい「はい」と答えると、向こうから「僕だ」と小声で言った。鍵をカチャと開けると、ドアは乱暴に大きく開いた。数人が部屋に飛び込む。
「本城シロウだな」
 質問しながら僕の口を手で塞いだ男は初めて見る顔だった。答えられないじゃないか、と思いながら壁に押し付けられて、目がすっかり覚めた。
 部屋の闇の中でキリエが「何すんのよ、この助平!」と暴れていた。最後に部屋に入った一人がドアを閉めて明かりを点けた。
 シオの両腕を後ろで取った男が「50ナンバーです」と言った。シオは停止させられたのか、目を閉じてぐったりと動かない。
「へえ、これはまた旧式を連れている」
 僕の首にナイフを突きつけながら男はかすかに笑った。「そっちのは」
「人間です」
「そっちのとは何よ失礼ね!あいたた」
 キリエは腕を捻り上げられて悲鳴を上げた。それでもシオを捕まえている男に蹴りを喰らわす。男は反応しなかった。
「こいつ、人間じゃないわ」
「そう。だから加減を知らない。暴れると腕とお別れですよ」
 男は最後に入った一人に僕を押さえるよう指示した。僕の後ろの壁にヒビが入るんじゃないかと思うような力で押し付けられ、腕がビリビリと痺れた。男は部屋に進んで荷物を荒らした。キリエのバッグから化粧品や香水瓶、財布をベッドの上にひっくり返す。次にノハラの鞄を開けてパソコンを見つけると、鞄ごと抱え込んだ。
「おやすみなさい」
 男がそう言うと、アンドロイド達がシューッと口からガスを吐き出した。これがオプションか、と思うと間もなく、僕は何も判らなくなった。




「起きろよ」
と僕を蹴飛ばしたのはキリエだった。ブルーのレースの下着姿のままだ。「どこかしらね」と見回すキリエにつられて僕も部屋をぐるりと見回した。まるでホテルのような部屋。僕らが居たホテルとは内装も家具の配置もまったく違うが、雰囲気はホテルそのものだ。
「ノハラもここに居るかもな」
「多分ね。フロア貸し切りで。…外が見えればいいのに」
 窓にはシャッターが降りていて外はまったく見えなかった。ベッドに横たわるシオの傍らにノハラの鞄があった。パソコンだけ抜き取られている。キリエは「服を借りるわよ」と鞄を探った。皺になった黒いワンピースはキリエには丈が短かったが「こんなもんでしょ」と僕に背中を向けた。僕は黙ってファスナーを閉めてやった。
「またシロウにファスナー閉めてもらうなんてね」
「二度とない事を祈ってたのに」
「また開けてもいいのよ?」
「バーカ」
 僕はシオの脇腹の辺りを服の上から手探りした。緊急時に停止させるスイッチがそこにある筈だった。それを解除すると、シオはゆっくりと目を開けた。「危ない」と言って起き上がり、周囲を見回して訳が判らないという顔をした。
「シロウ。これはどういう事?」
「シオが停止されられて、その間に場所が変わった。僕らにもどこなのか判らない」
 僕はベッドに腰掛けてキリエを見上げた。
「なぜシュウヘイは戻らなかったんだ。奴が僕らの居所を知らせたんじゃないのか?」
「何を言うのよ、シロウ」キリエは目を見開いた。「彼はそんな人じゃないわよ」
「シュウヘイはHAHの人間じゃないか」
「私は彼がシオの調整をするところを見たけど」
 キリエは僕の肩をドンと押した。後ろに倒れそうになる。
「天使を作る彼は本当に優しい人よ。シュウヘイは人を騙したりしないわ」
「キリエはいつだってコロッと男に騙されるんじゃないか」
「シロウは私を騙さなかったわよ」
 真っ直ぐに睨まれて僕は何も言えなくなった。シオが「キリエ」とはっきりした声で言った。
「シュウヘイの仕事はノハラと同じ?」
「そうよ」
「…七月×日、午前二時十二分」
 そう言うと、シオは口から違う声を出した。
 ノハラの声だった。
「私の望みは、アンドロイドを傷つけたくなかった。暴力に使って欲しくなかった。多くの技術者がそうである事をユーザーに理解して欲しい」
「…シオ…」
「シュウヘイは、ノハラと同じ仕事の人。だから悪い事をしない」
「そうよ、シオ。あなたを大事にしてた人なのよ」
 キリエは涙声でそう言ってシオを抱きしめた。
「…大事にしていたなら、なぜ手放したんだ」
「大事だからよ。自分の周りの汚いものからシオを遠ざけたかったのよ」
 キリエは涙を拭って続けた。
「もともとシオは彼のお父さんのものだった。名前もお母さんの『史緒』から貰ったの。お父さんはシオをとても大事にしてたって言ってたわ。そのお父さんが一昨年に亡くなって、彼がずっと大切に側に置いていたのよ」
「…判ったよ、キリエ」
 僕は俯いて何度も頷いた。
「それならシュウヘイは…」と言いかけて、僕は盗聴されているだろうと気付いた。人差し指を唇に当てて「いい奴なんだろう」と言葉を締め括り、シオを見た。
 シオには発信器がつけられている。シュウヘイがここに来ると信じていいだろう。
 僕はシオに「僕がいいと言うまで黙ってて」と耳打ちした。キリエと顔を寄せ合い、小声で「どうしようか」と訊ねた。
「私はじっとしていられないタイプなの」
「知ってる。僕らはともかく、ノハラが無事かどうか」
「エモノは」
「自慢の長い手足」
「この美貌」
「…最悪だ」
 アンドロイド達を相手に役に立つとはとても思えない。
「あとは楽天的性格と運の良さね」
「やるのか?」
「同じやられちゃうなら心残りはない方がいいでしょ」
「なるほどね」
 僕らが立ち上がると、シオもノハラの鞄を肩に提げて立ち上がった。キリエがニコッと笑って言った。
「シオ。ドアを開けて」
 シオは鍵の掛かったドアノブをガチャガチャと引いた。開かないと判ると僕を見た。僕は「壊して」と指示した。シオが力任せにノブを引くと、バキンと派手な音を立ててノブが折れた。
 ドアは開かなくなってしまった。
「確かに、シロウの言った通りだわ」キリエがフンと笑った。
 ああ、と僕がうなだれるとシオはあの言葉を言いたそうにした。「がっかりしないで、シロウ」と言う時の顔だ。黙っていろと言ったから口にしないだけなのだ。
「シオ、物事はもっと思い切りよくいくのよ」
 シオがきょとんとするとキリエは「思い切りよくっていうのはこう」と拳でドアを叩く真似をした。シオは頷いてくるりとドアに向き直り、拳を握って数秒動かなかった。
 シオがドアを思い切りよく叩いた。
 蝶番の外れたドアが廊下の方へと倒れていった。




 倒れたドアの下に誰かが下敷きになっているようだった。覗き込むと、そこに居るのは無表情に目を開けた男だった。アンドロイドか、停止しているようだ。廊下の向こうで「わあ、何だ」と声がした。駆け寄る足音に身構えた。
「派手にやったな、シオ」
 シュウヘイが苦笑いで言った。
「よくここまで来れたな」
「コツがあるんだ」
 彼の向こうに数体のアンドロイドが停止していた。
「こっちにノハラは居なかった」
 彼は倒れたドアの上に乗り、アンドロイドを踏み付けにした事に気付くとまた「わあ」と言って飛び降りた。
「ごめん。後でいい子に再調整してあげるからね」
 僕はキリエと顔を見合わせた。
「ね?面白い人でしょう」
「…まあね…」
 シュウヘイが現れたので僕らの部屋の前に居た一体を除いたアンドロイド達が彼に襲いかかったらしく、このフロアに動く者は僕らだけになった。シュウヘイが部屋のドアを次々と開けてゆく。いちばん端の部屋のドアに鍵が掛かっていた。
「シオ、もう一回」
 キリエが先程と同じ仕草で指示した。
「派手好きだな」
「修理代は誰が出すのかしら」
「指示した奴だろ」
 シオがドアを殴りつけ、傾いだドアをシュウヘイが蹴飛ばして外した。中を覗き込み、「ノハラ、」と叫んで中に飛び込んだ。僕らも後に続く。彼はベッドに眠るノハラの横に立ち、抱え起こそうと手を掛けた。
 ピタリと掛け布団を除けようとする手が止まった。停止したアンドロイドのように動かない。僕らが近づこうとすると彼は動かないまま「来るな」と言い、ノハラの脈と呼吸を確かめて振り向いた彼は険しい顔をしていた。
「シオ、後を頼む」
 彼は僕とキリエを廊下に出るよう促す。彼は部屋から離れて壁に寄り掛かり、ずるずると座り込んだ。顔を膝に埋めて隠した。
「どうしたんだ」
「何があったの?」
 僕とキリエが彼の頭の上で訊ねたが、彼は答えずにただ首を横に振った。
「まさか…」
「…いや…」
「怪我してるの?ひどいの?」
 キリエが戻ろうとするとシュウヘイは「行くな」と顔を上げた。
 静かだった。時折エレベーターの動く音が遠くに聞こえると、僕とキリエは廊下の向こうに目を凝らして身構えたが、シュウヘイは力が抜けたように俯いたきりだった。
 やがてシオがこちらへやって来て、座り込んだシュウヘイを見下ろした。
「…ノハラは」
「……」
「もう喋っていいよ、シオ」と僕が言うと彼女は「起きてる」と答えた。そしてシュウヘイを見下ろし、じっと彼の顔を見た。
「シュウヘイ。どこが痛い?」
 彼はシオを見上げてかすかな笑みを浮かべた。
「どこもかしこも痛いよ、シオ」
「見せて」とシオは床に膝を突いてシュウヘイの肩に手を置いた。
「怪我や病気じゃないんだよ。心が痛いと全身が痛いんだ」
「心が痛い」
 シオは目を見開いて、数秒動かなくなった。考えていたのだろう、行動を決めたシオはシュウヘイにぴたりと身体を付けた。
「シオ?」
「あたたかいと幸せな心地になる」
「え?」
 シュウヘイは驚いて目を丸くし、「…誰が教えたの」と僕らを見上げた。私よ、とキリエが答えてフフと笑った。
「のんびりしてもいられない。安全な所に逃げよう」
 僕が言うとシオはシュウヘイから離れた。部屋に入るとノハラは起き上がってベッドから降りるところだった。鞄に詰めていた僕の白いシャツにホワイトジーンズを穿いていた。シオに殴られた時のバンドエイドもそのままで、怪我らしいところも他に見当たらずホッとした。
「ノハラ、無事で良かった」
「うん」と彼は答えて立ち上がった。ふらりと倒れそうになるのへシュウヘイが手を伸ばした。
「触るな」
 シュウヘイがぴたりと止まった。二人は黙ったまましばらく睨み合っていたが、不意にシュウヘイが「嫌だ。触る」と言っていきなりノハラを抱きしめた。
「何をするんだ」
 ノハラはシュウヘイの胸に顔を押し付けられ、「放せ」と言ってじたばたと暴れた。
「ノハラ。あたたかいと幸せな心地らしいよ」
「何だそれは」
「シオがそう言った」
「シオが?」とノハラは暴れるのをやめた。
「僕らの天使は上出来だ」
 ノハラがじっと動かなくなった。シュウヘイはただ頷いてノハラを抱く腕に力を込めた。キリエがそれを見て「出ましょ」と僕とシオを促す。廊下に出ると彼女は「ふられちゃった」と笑った。
「え?ふられた、って」
「この私に手を出さない訳だわ」
「…ノハラは男だぞ?」
「何言ってんの。どう見ても女の子じゃない」
「え?」
「え?」
「…そういう趣味で?」
「何考えてんのよ」
 僕らはシオを振り返った。シオはノハラの着替えを手伝った筈だ。
「ノハラは女性」
「勝った」
 キリエが高らかに勝利を宣言した。僕は握り拳で天井を仰ぐキリエを呆然と見た。店の皆もノハラを男だと思っていたと言うと、キリエは「…逃げてたから男で通してたんじゃないの?」と部屋の方を振り返った。そうだったのか。
「僕はノハラと一緒のベッドで寝ちゃったよ」
「シュウヘイには言わない方がいいわよ。シオ、これは内緒よ」
 キリエが片目をつぶるとシオは目を見開いてじっとした。
 エレベーターのドアの開く音がした。
「シュウヘイ!」
 キリエが叫ぶと彼はノハラの手を引いて飛び出して来た。「階段へ」とシュウヘイが指をさす。それを阻もうと腕を伸ばして来た一体に体当たりすると「やれやれェ!」とキリエが無責任な声援を送ってきた。
「イテェ、何て頑丈な」
 肩の激痛に涙目になってしまった。むくりと起き上がる奴の脇腹に一撃喰らわして停止させた。それを見たシュウヘイがまた「わあ」と言う。
「もっと丁重に扱ってくれ。壊れてしまう」
「そんな場合か」
 シュウヘイの言うコツとは相手の注意を目の高さに引いて、すかさず腰を落として停止スイッチを押すというものだった。キリエがシオを背中でかばいながら敵ともみ合い、ノハラがスイッチを押して止めた。停止した一体のシャツの前を開いてナンバーを確認する。
「55だ」
「せめて56にして欲しかった…」
「何?」
「音声指示の短縮コードで停止させられるんだ」とシュウヘイが答えた。「おかげでこんな地味な事をやっている」と言いながら、手のひらで敵の顔を覆って壁に押し付けて停止させた。最後の一体を止めて、彼は「イテテ」と腕をさすった。
 非常階段のドアを開けると、下から駆け上がって来る人影が幾つも見えた。
「高い…」
 何階だ、と僕は地上を走る車のサイズで高さを測り、気持ち悪くなった。「最悪」とキリエ。
「上だ」とシュウヘイが言った。「バカは高い所が好きだからな」
「バカって」
「僕らを上に追い込むつもりなら、上で待っててくれるんだろう」
「シュウヘイ、だめだ」
 ノハラがシュウヘイの腕を取った。シュウヘイは彼───彼女を見て微笑んだ。
「向こうもケリをつけたがってる」
「やめて」
「僕はあいつを許さないよ」
 彼はまた険しい表情に戻って低く言った。
「ノハラはここでお客さんを止めておいて。本城君、後を頼む」
 あいつって、と訊くのにも答えず、彼は非常階段を駆け上がった。ノハラが後を追う。僕らも二人を追って階段を上った。