君さえいれば-2

MARIA ARIMA

 新幹線で東京。地下鉄に乗り換えてテレビ局を目指す。駅構内のざわめきに、思わず大きな声を出してしまう。
「アリス、そっちじゃないって。余所見しないでついて来てよ?みんなも」
 気分はツアーコンダクター。私はアリスの腕を取って、後ろを振り返る。江神さんが「はい」と返事をして微笑んだ。その横で、モチさんと信長さんが指を差して「前見て歩けやマリア」「え?」と言うのと同時にアリスが私の手をぐっと引っ張った。
「あぶないよマリア。ほら」
 見ると柱が目の前にあって、アリスは「もう、そそっかしいんやから」と笑った。
 ……それ、アリスにだけは、言われたくないんですけど。
 アリスはそんな私の気も知らずに、「火村先生、もう待ってはるかも知れへんから、はよ行こ?」と私を促した。
 私たちEMCのメンバーがテレビ局へ向かっているのは、このぽや〜んとした娘、有栖川有栖のため。
 彼女が「私、テレビに出るんよ」などと言い出したのは先週のこと、いつものように学生会館のラウンジで皆が集まっている時だった。番組名を聞いても、江神さんとモチさんは「知らん」と首を傾げ、信長さんは「一回見たことあるわ、深夜にやっとる奴でな」と二人に説明した。
「判ってるのアリス?あの番組に出るってことは、あの火村先生とカップルで出るってことよ?」
「ええのか、アリスとのこと学校に知れて、火村先生の立場とか」
 モチさんがそう言って初めて、私は「そういう問題もあった」と気が付いた。けれど私がもっとも問題視しているのは………
「ええも何も有名やろ。火村先生がアリスにべた惚れなのは」
「……そうね。そんなの問題にもならないわね」
 信長さんの言葉に、私は脱力して窓の向こうを見遣った。通りを挟んで建つ煉瓦造りの学舎。この伝統ある英都のキャンパスで火村英生助教授が起こした騒動は、学生の間にすっかり広まっていた。
 いつからか火村助教授はアリスの顔を見る度に口説くようになった。彼がいつアリスを好きになったのかなんて私は知らないけれど、ある日突然私たちの目の前で「好きだアリス」はないと思う。
 以来、火村助教授の激しい求愛を私たちは「暴走特急」と呼んでいる。顔を見るたびに好きだの愛してるだの、隙あらば抱き寄せて言う助教授をアリスから引き剥がしたり蹴り倒したり。
 ………子供じゃあるまいし。世話焼かさないでよね。
 ある時などは何を思ったのか、火村助教授は花輪程もあろうかという大きな紫のバラの花束を抱えて現れた。
「俺の気持ちはこんなものでは足りないが、店にはこれだけしかなかった」
 ぐわわわわわ。
 私たちだけでなく、このラウンジにいた学生全員が倒れた。噂では気温が一気に氷点下まで下がったと言われている。
「火村先生!もう……もう、いい加減にしてください!人前でこんなこと、恥ずかしいと思わないんですか!」
 アリスは真っ赤になって、涙をぼろぼろこぼして怒った。とうとうこんな大勢の前でしでかしたのだ。それまできつく言えなかったアリスも腹に据えかねたのだろう。それからはさすがに助教授もおとなしくなったけれど、………何と。
 二人はつきあい始めたのだ。
「アリス、迫られ過ぎて感覚が麻痺しちゃたんじゃないの?」
と、二人だけで寄った喫茶店で私は言った。
 確かに彼は、顔は決して悪くないし(むしろハンサムの部類だと思う)、助教授としての仕事も高く評価されている。彼が“本来なら”魅力的な男性であることは、私にも判っている。
 でもだけどそれでも。
「アリスにはもっと似合いの男の人が絶対いるって!あんな強引で!言うこと気障で!恥知らずで!わけわかんなくて無茶苦茶でコドモで!」
 ぱん。ぱん。ぱん。ぱん。ぱんぱんぱんぱんぱんぱんぱんっ。
「…マリア、ちょっと静かにしいよ」と、俯き加減のアリスが上目で私を見たので、私は言いながらテーブルを叩いていたことに気が付いた。
 アリスは「わかってるよ、そんなこと。火村先生より江神さんのほうが、かっこいいもん」と言ってくすっと笑った。
「でもね、火村先生ってほっとかれへんの。目が離せなくなっちゃうんよね」
 その言葉に、カフェオレのカップを持つ手を止めて顔を上げた。アリスはほんのり頬を染めて、ふふ、と微笑んだ。
 ………なんだ。何の彼の言って、アリスってばすごく幸せなんだ。
 だって、こんな笑顔するんだもの。
「あーあ。お幸せそうなことで……」
 そう言って、私は熱いカップの縁に口を付けて黙った。
 ………まあ、いいか。
 EMCのみんなも、そうした私の思いと同じ気持ちのようで、今や二人を公認の仲として温かく見守っている。
 ……と言うのは当てはまらないかもしれない。
「応援に行かないとな」
 江神さんがテーブルに頬杖を突いてニコッと笑い、私たちを見回して、私はアリスとの会話の回想から引き戻された。
「ええ!来てくれはるんですか?江神さん!」
 嬉しそうにテーブルに身を乗り出すアリス。
「みんなも行くやろ?」と言う江神さんに、信長さんもモチさんも頷いて、「当たり前や」と答えた。
「わあ!嬉しいです。ありがとうございます!マリアも来てくれるよね」
「もちろんよ」
「良かったー。わあ、何着て行こう。マリアどうする?」
 すっかりはしゃいでいるアリスを見つめる私たちの思いは一つ。
 アリスと二人になったら何しでかすか判らない、あの暴走特急を止めなければ。
 アリスの身に危険が及ばないよう、私たちは二人を“温かく”見守っているのだ。
 そうして、私たちはついにやって来た。
 敵はテレビ局にあり!!
 ………何か、ちょっと違うかしら。




MYSTERY WRITER

「……恋人同士なら、普通は一緒に会場に行くものだろう。なのに、何でアリスはEMCの奴らと一緒に行くんだ……」
 すぱーんっ!!
 一陣の白い風をまいて、私の握るハリセンが火村の脳天を直撃した。
「そらおまえが新幹線の中で彼女に何しでかすか判らへんからやろ!」




YUKA IZUMI

 着替えを済ませてテレビ局の正面ロビーに集合したのは、お昼少し前だった。
 いつも会社でスーツ姿ばかり見ているので、澤田さんと古田さんの普段着姿は新鮮だった。諒介のジーンズ姿は何度も見ているけれど。澤田さんはTシャツとカーゴパンツ。古田さんはポロシャツとチノパン。
「わ、何か新鮮」と言うと、澤田さんに「由加は大差ないな」と言われてしまった。
 軽装で、という話だったから、私もシャツにジーンズだ。通勤スタイルとは全然違うと思うのだけど。
 ロビーの受付でスタジオを訊いて、そちらへ向かう。収録前のスタジオは慌ただしく賑やかだ。「何の番組だろうね」と見回す私たちに気づいたスタッフの一人が「観覧に来られたんですか?」と声を掛けた。澤田さんが出向で来た旨を告げると、「ああ、はい、伺ってます」と何度も頷いた。皆で「よろしくお願いします」とお辞儀をした。
「えーと…そうだなあ、初めての方でみんな判らないから、これに着替えてもらえますか。スタッフTシャツ」
と、差し出されたTシャツを受け取って、澤田さんと諒介の目が点になった。
「じゃ、よろしくお願いしますねー。また後で」
 スタッフの人は偉い(らしい)人に呼ばれて、走り去ってしまった。点目のまま動かない諒介の持つTシャツを、背伸びして覗き込んだ。胸に大きく番組名がピンク色の文字でプリントされている。
 『炎のラヴラヴショウ』
「こんなもん着れるかあッ!」
 二人はTシャツを床に叩きつけ、がしがしと踏みつけた。
 Tシャツが靴跡だらけになった。
「…………やってやる……やってやるぞ……」
「……ああ。俺らが仕事は120パーセントこなすっちゅーとこ見せたるわ……」
 汚れたTシャツを拾い上げて二人がいきなり自分のTシャツを脱いだので、私は慌てて背を向けた。
 クライアントに従うのも仕事の内。矢島部長の面目をつぶさないためなんだ。
「でも何も目の前で着替えることないじゃない…」
 涙がぼろっと出てしまった。
 古田さんが「よしよし」と私の頭を撫でて、「いいのかなあ。僕らの分はないけど」と、スタッフの人が走り去った方を窺った。
「…古田さん、着たいの?あれ」
「僕は全然かまわないけど?」
「古田さんって、大人だね」
「そーゆー問題とちゃうで…」
 後ろで澤田さんが脱力するのが、見なくても判った。
 先刻の人が戻って来て「いずみさん」と呼んだ。私と諒介が「はい」と返事をする。「えーと、女性の方」と言われて、私が前に出た。
「じゃ、衣装に着替えてください。そしたら段取り説明しますんで」
 ……衣装?
 ……段取り?
「あ、あの」と訊こうとするのだが、「時間おしてますんで、急いで。こっちです」と腕を引っ張られた。背中に古田さんの声が聞こえた。
「フフ、あのTシャツ作る番組の衣装って、どんなんだろうねえ」
 ……どんなんですか。
 訊く間も与えられず、スタジオから連れ出された。




MARIA ARIMA

 出演者控え室へ向かうアリスと別れて、私たちはスタジオの重い扉を開けた。
「火村先生とアリス先生はもう着いとるのかな」と、モチさんが眼鏡の奥の目を細め、薄暗いスタジオの隅からまぶしい照明の下のセットの方を見る。江神さんが「あれ?」と呟いた。
「あれ、由加さんと違うか」
 江神さんの指差す方を見ると、背の低い着物姿の女の人が、きょろきょろと辺りを見回しながら、ほてほてと歩いていた。
「ほんとだ。由加さーん!」
 おーい由加さん、と皆で呼ぶと、振り向いた由加さんはびっくりして、それからニコニコと駆け寄って来た。私は思わず由加さんの両肩に手を掛けて、抱きつきそうになった。
「どうしたんですか?着物なんて着ちゃって。すごく可愛い!……あ。ごめんなさい。失礼ですよね」
 由加さんは江神さんより年上。れっきとした大人の女性だ。だけど小さな体と懐こい雰囲気が、歳の差を感じさせない。彼女が京都を訪れた折にアリスと知り合って、以来アリスはこの“お姉さん”と時々手紙をやり取りしている。由加さんは「ううん?嬉しいよ。ありがとう」と、笑顔で言った。
「仕事で来てるの。諒介も一緒なんだけど…どこ行っちゃったのかな」
 諒介さんというのは由加さんの友人で、大阪に住んでいる。黒縁眼鏡と穏やかな眼差しが印象的な人。二人はただの友達という雰囲気ではないのだけど……とにかく、何だか不思議な二人なのだ。
「ほら、あそこにいてはるの、諒介さんでしょ」
 一番背の高いモチさんが目敏く見つけて、由加さんの肩をぽんぽんと叩いた。
 セットの中央に集まったスタッフの中に彼はいた。汚れたTシャツを来て、手にした台本にメモを取りながら真剣な顔で話を聞いている。
「…何だか諒介さん、かっこいい。前にお会いした時と雰囲気が全然違いますね。真剣に仕事をしている時の男の人って、かっこいいですよね?由加さん」
「えっ」と振り向いた由加さんは、また向き直って諒介さんを見つめて、黙り込んでしまった。
「あの汚れたTシャツがまたかっこええなあ」と信長さんが言うと、由加さんはなぜか「あはは……」と虚ろに笑った。
 打ち合わせを終えた諒介さんが私たちに気づいて、こちらへ早足で歩み寄った。モチさんと同じくらい背の高い人と一緒だ。彼は「澤田です」と名乗って、ふと由加さんを振り向いた。
「何や由加、着物か。まともな衣装で良かったな」
 澤田さんと諒介さんはクククと笑った。
 ………二人のTシャツの方がおかしいと私は思うけど。
「可愛いで」
「うん。似合う」
「へへっ。そおー?」由加さん、頭ぽりぽり。
「うんうん」二人、ニコニコ頷く。
「………」
 由加さんは、真っ赤になって俯いてしまった。
「火村先生もこれくらいさらっと言えればええのにな……」
 信長さんがぼそっと言うと、由加さんはまだ赤い顔で「あ、そうだ」とこちらに向き直り、私の手をきゅっと掴んだ。余程恥ずかしかったらしい。手まで熱かった。
「みんな、番組の収録を見に来たんでしょ?好きな所に座っていいみたいよ。アリスさんは?今日は来られなかったの?」
 話を変えようと必死の由加さんに、江神さんがニコッと笑いかけて答えた。
「来てますよ。今、出演者の控え室に行って準備してます」
「ええっ」
 由加さんがぱあっと笑顔になった。
「アリスさんが出場するの?わあ、いつのまに彼氏が出来たんだ。どんな人?やっぱり英都大の人?」
「火村先生です」
「………」
 由加さんと諒介さんが、笑顔のまま固まった。




P & AP

「……これで視聴率アップは間違いありませんねー」
「個性的な素人さんは、下手な芸人よりよっぽど視聴者に受けるからね」
 うふふ。うふふふふ。
 スタジオの隅でほくそ笑む、二人の女。
「でも姉、スポンサーからクレーム来ませんかね?あの暴走特急、何するかわかんなくて手に負えないんだもの」
「どーせ次の改編で潰れる番組だもん。ここんとこ視聴率落ちてるからねえ。数字さえ取れりゃスポンサーさんも文句ないって。私の人選にミスはない。安心して次の企画でも立ててなさいよ、妹」
 姉。この番組のプロデューサー、佐倉。
 妹。アシスタントプロデューサー、諏訪野。
 身長差、13センチ。年齢差は命が惜しいので省略する。
 本来なら応募者から出場者を決めるこの番組だが、視聴率の起死回生を狙って彼らに出演を依頼したのは、この二人である。
「でもシュウヘイ達とは百何十年も時代がずれてるじゃないですか。その辺、どう言い訳するんですか?」
「フッ。この番組は私の頭から電波出して時代を超えて放映されてんのよ!」
 苦しすぎる。
 にもかかわらず「さすが姉!人間じゃありませんね」と素直に感心してみせる世渡り上手な妹であった。
「諏訪野の火村だけでも充分だけど、うちの変態ぶつけるからね。これは派手な舞台になること間違いなし。裏のテレビ通販なんかメじゃないぜ!」
「それにもし暴走特急が何かやらかしても、澤田が止めてくれるでしょう。それで何かあっても責任は澤田、外部の人間ってことでー」
「フッ。諏訪野。おぬしもワルよのう」
「いえいえ。お姉様には及びません」
 はーっはっはっは。
 役者は揃った。いよいよ夢の変態対決の幕が切って落とされる。
 ………誰の夢なんだよ誰の。